【コース体験記】松下裕子さん : 「私の生きる道」 アラサー、MAへのジャンプ進学を果たす。
2011.11.27
ファウンデーション課程
東京の大学で国際学を専攻、卒業後はインテリア関係の会社に就職。営業のバリキャリとして8年目にさしかかった2009年、ロンドンのアート道に降り立つ。セントマーチンズのオリエンテーション→ファウンデーションという王道を辿るも、思うところあってロンドンを退去することに。語学学校で1年間英語を再ブラッシュアップし、2011年9月、ボーンマス美術大学大学院へのジャンプ進学をキメたのが今回のヒロイン、松下裕子さんです。
タイミング良くユニコンの近所でグループ展覧会に出展するという情報を得て、ユニコン情報部(1名)は会場に駆けつけました。展覧会を案内してもらうという目的だったのに、いつのまにかアラサー留学を決意した彼女のヒストリーを根ほり葉ほり「聴取」することに。だって同じアラサ―のシングル情報部員としてはそこが一番聞きたいところですもん。
それでは松下さんの「私の生きる道」を展覧会の写真と一緒にご紹介します。
まずは展覧会の成功と大学院合格、おめでとうございます。
ありがとうございます。大学のアプリケーションと展覧会の準備で本当にてんてこ舞いでしたが、やっと一息つけました。ここのギャラリー、最近オープンしたばかりなんですよ。まだペンキの匂いがするでしょ?展示物の搬入や設置スケジュールも押しに押して、本当にオープンできるのかとハラハラしました。
ありがちなこととは言え、大変でしたね。ここはオーナーが韓国の方なんですよね?
そうです、この向かいの韓国料理屋とその隣の韓国食材店のオーナーが新設したギャラリーなんです。この展覧会はユニコンつながりで知り合った天野さんのプロジェクトなんですけど、天野さんと組んでいるのが韓国出身のセントマMA時代の仲間で、そのつながりからこの会場に決まったようです。
この辺(大英博物館前の通りでその名もずばりMuseum Street)は韓国系の勢いがすごいですもんね。認めたくないけど、日本人はもう完全に日陰の存在ていうか、美術館前のホットドッグスタンドですら、張り紙に書いてあるのは韓国語のメニューだけだし…なんか寂しいですね。
ところで、大学院課程では何の学科に進むんですか?
「イラストレーション」です。いくらセントマでファンデをやったとは言え、学部課程を飛ばしていきなり大学院になんて本当に行けるのか?!と、出願準備をしているときは半信半疑で不安でしたけど。語学学習で明け暮れたこの1年は(当たり前ですけど)ファンデ時代と比べると集中度がかなりダウンしていたし制作にも限りがありました。ファンデをやっただけじゃアーティストとしての年季が不足しすぎですから、もうちょっと「詰めて」「開拓」したいので、コースが始まったら自分のやりたいことに集中するつもりです。田舎ですからロンドンのように色々と誘惑がない分、気も散りませんしね。
そういう固い意思をもっていらっしゃるのならどこでも大丈夫ですよ。でも松下さん、当初は1年間だけの留学予定だったんですよね?
そうです。あの頃は就職して8年目で仕事がすごく忙しかった。そういう生活に疑問というか、色々考えて、ひと区切りつけて留学しようと決めて退職願を出しました。会社のほうからは「まあ待て」と言われ、話し合って「とりあえず1年間の休職扱い」という扱いで渡英しました。
インテリア関係の会社には7年お勤めと聞きました。けっこう長いキャリアですよね。
忙しかったけれど楽しかったから。もともと何かを作ることが好きだったので、インテリアという「身近の空間」に関われることに興味を惹かれて入社しました。大手だったのでかなり大規模なことをやらせてもらえたしやりがいがありました。モノづくりの現場を間近で見られることも楽しかった。
それなのに?
ええ、それなのに、です。7、8年も経つと中堅どころとして「プロの営業」としてお客さんのところに行かなければいけなくなります。若手の時は「勉強」ということで自由な面があるのですが、中堅ともなるともっと「営業らしい」ことを求められるようになります。それが「なんか違う」と感じ始めたきっかけでした。営業職だからデザイナーを紹介する、制作者を紹介する、そういうコーディネートはできるけど、自分自身は何も作れない。そういう歯がゆさも少しずつ蓄積し、8年後にはけっこうな不満になっていたと思います。
「違うな」がやがて「このままでいいのかな」になって、「退職して外に出ようかな」になりました。
で、「作る」側に回りたいと?
ええ。作ることを学べばもっと踏み込んだ企画営業ができるかもしれないと考えて、ユニコン事務所にコンタクトしました。
その時はチェルシーカレッジのGraduate Diploma in Interior Designに申し込んだのですよね。
それがなぜセントマのファウンデーションに?
面接を経てGraduate Diplomaのオファーをもらった後で、「アートのしろうとがいきなりのGraduate Diplomaはないだろう」とアドバイスされ、セントマのオリエンテーションで本コース前のウォーミングアップをすることにしたのです。
オリエンテーションでアートのイロイロな分野を経験するうちに「クラフトみたいにもっと自分の手を動かして作りたい」と思うようになりました。で、自分で作りたいということはわかったけど、どうすればいいのかという点になると不明瞭で、それが進路をセントマのファンデに変更した理由です。
Graduate Diploma in Interior Designコースなら履歴書の学歴欄を堂々と飾ることができるのに、いくらセントマでもファンデだと飾りとしてはちょっと役不足でしょう。ファンデを選ぶことに迷いはなかったのですか?
ファンデ進学を決心した時点では翌年会社に戻る気まんまんだったので、再就職のための履歴がどうとかは悩みませんでした。7年以上勤めている中堅は会社にほとんどいなかったので、復職後の地位は保証されているしちゃんと仕事はできるぞという自信もありましたし。ま、1年ぽっきりの休職だからやりたいことをやればいいと。
それが。
ファンデをスタートした頃、会社が早期退職者を募ったことを知りました。その募集をきっかけに「戻るか戻らないか」と、もう一度自問自答をし、心が決まりました。もう辞めちゃおう、と。会社の同僚からは、やりたいことが見つかって早期退職金までもらっちゃって「棚ボタだろ」なんて言われたけれど、それはそれで今度は「その後」を考えなくてはいけません。なんとか1年でスキルをモノにしなきゃと、ファンデ時代はもう必死でガリガリやりました。
ところが1年では終わらなかった。
ファンデで色々やっているうちに自分の欲しいものが明確になり、もっと追求したいという気持ちが強くなったのです。「向いている」と「楽しい」の両方の感覚を満たす分野として「イラストレーション」が浮上してきました。
とは言え、絵だけ描いていて楽しいわけじゃないので、「紙」を自分のメディアとして大切にしていきたいと今は考えています。しかしこの「紙」も最終的なメディアというわけではありません。もっとファインアート寄りで行きたいのか、デザイン寄りなのか、デザインの中でもアート寄りにするのか、それともプロダクト化が可能なコマーシャルな作品にしていくのか、そのあたりは自分の中でもまだ定まっていません。向こう1年かけて見極めたい課題です。
なぜ「紙」?
自由に扱いやすくて色々な可能性を広げやすいからです。たとえばちょっと折ることで扉に見えたりとか、紙って折ることで全然変わるんです。そこがまた私のテーマである「ファンタジー」と「クリエイティブ」につながるんです。
紙に惹かれたきっかけは?
私、高校生の時から「オレンジページ」や「主婦の友」なんかの主婦系雑誌を読むのが大好きで、ほら、紙で作るクラフトや便利グッズのアイデアに満ち溢れているじゃないですか(だから早く嫁に行くだろうって言われていたんですけど、へへへ)。きっかけというか、ルーツはそのあたりにあるのかも。
松下さんの進路を揺るがしたセントマのファンデについて一言お願いします。
ブランドネームのある有名校だから色々なコネクションを持っていて、それが大きなメリットをもたらす機会につながること。たとえば、ファンデの卒展で私の作品を見たグラフィックのチューターが「フィルムを作っている友人がストーリーボードを描けるイラストレーターを探しているけど興味はないか?」とコンタクトして来たり、とか。たかがファンデと思っていたのにそんなチャンスが予想以上にありました。ですから、セントマで作った繋がりは今でも大切にしています。
ただし、「教えてもらう」というスタンスでいると全然だめです。こちらから求めていけば応えてくれる懐の深さはありますけど。ユニコンからも最初からそういう説明を受けていましたが、まあ想像以上でしたね(笑)。
さて、ちょっと話題を変えていいですか?
留学は松下さんの人生をより幸せなものに変えたでしょうか?
まだよくわからないけれど … 以前は自分のアイデンティティがはっきりしなくて、学生時代も「学生です」としか言いようがなかったのが、ここにきて「自分はこういうことをやっています、作っています」と言えるようになってからは話の広がり方が以前とは違うようになったと思います。「自分のコネクション」と言えるつながりも広がってきたと思いますし。
たとえば、この前、日本に一時帰国した時たまたま寄ったお店のオーナーが元キュレーターで多様なコネクションのある人だったんですが、その方が業界でかなり力のある方々を紹介してくださったおかげで素晴らしいフィードバックをもらえたんです。そこで、「あ、イケるかな」という自信がついて今に至っています。もちろん、営業職時代もそんな広がり的なことはあったけど、それは自分自身のものではありませんでした。でも今は『自分がやったことに対してダイレクトに反応が返ってくる』ことの醍醐味を味わうことができます。
心の幸せってことですね?
そう、自分の中での優先順位がクリアになりました。別に新しい服とかを買えなくてもまあいいや、みたいな。
今は営業職時代以上に作業していたりしますけど、自分がやりたくてやっていることだから苦にならないというか、満足感があります。たとえ今すぐ日本に帰国したとしても、もう前のような仕事はしないな、と思います。自分の時計に合わせた仕事をして空けた時間を好きなことにつぎ込む。まあ食べるために仕事はするけれども、自分の「これだ」を続けるための時間のほうを大事にしたいということです。
日本のクリエイティブ業界ってもう24時間働いているような状態じゃないですか。あれはできません。
こちらの人は、どんなときでもプライベート優先ですものね。
ええ、あれは日本人がもっと見習うべき点だと思います。私ね、渡英当初、自分がホントに日本人だなーとつくづく思ったのは、常に「将来のことを色々心配しながら何かをしていて」「先が決まってないと心配でしょうがない自分」がいることでした。こちらの人っていつでも「今」を楽しむというか、良くも悪くも先のことをあまり考えていないですよね。そういう姿勢からはやはり学ぶものがあって、私もこの頃少しは変わったかなと思います。あまり先のことをあれこれ考えなくなったんですよ。とは言いながら、ギリギリそれなりに考えているつもりなんですけど、先を(笑)。
なるほど。心の幸せは○印として、営業職時代と比べて当時のほうが良かった点は何ですか?
それはもう、お金です。はっはっは。安定とお金、これですね。でも長い目で考えれば会社だっていつまで存続しているかわからないんだし、そういう不安定要素に頼っているよりも、自分で「これ」というものを持てた今のほうがいいよねっ!と考えるようにしています。
グループ展に参加した他アーティストの作品
ビンボー生活の秘策は何ですか?
切りつめることです(笑)。営業職時代に比べるまでもなく、超質素です。日本に帰国した時に洋服やなんかを見て買おうかな、と思っても、ついポンドに換算して、次の瞬間勝手に自分で慌てて、「ああ、高い高過ぎ、買えない買えない」みたいな。
(さあ、ここでアタシが最も聞きたかったトピックだ)松下さん、結婚のほうのご予定は?
ノーコメントです(笑)。ただ、年齢のしばりとか3高とかみたいなものは全く気にならなくなりました。子どもがいない生活とかもありかな、とか、こちらに来て色々と価値観は変わったと思います。
あらー、随分あっさりですね(気負っていた分、膝が抜けた情報部員)。
そうですね、「周りの目がない」というのも大きいですが。やっぱり日本にいると、周りはみんな結婚して子供も産み始めて・・・って、そういう「流れ」がありますよね。でも、こちらの人はマイペースというか、何歳で就職して結婚して、というような社会的縛りが日本ほどきつくない。わたしは周りに影響されやすいタイプなので、日本にいたらもっと違う風に感じていたかもしれません。そういう意味では、イギリスの環境がプラスになっているとは思います。自分がいいと思えているのならそれでいい、というスタンスが社会的に認められる風潮があるでしょう。
なるほど。なら、「10年後にはこうなっていたい」みたいな理想の青写真なんかはありますか?
実はファンデを修了した時、「40歳までに一人前のイラストレーターとして食べていけるようになる」という目標を立てると同時に「これから3年間がんばっても全然食べていけないようだったらこの道はスッパリあきらめよう」と決めていました。今はまだまだだけれど、いろんな可能性が広がっているのを実感できるのでこのまま頑張りたいと思います。
また、デザインやアートはやはりロンドンに集中しているけれど、これからはボーンマスのような田舎からロンドンに発信していくとか地元で独自のマーケットを作るとかいうことにも挑戦していきたいです。ロンドンのように競争が激しいスポットで戦うのではなく、「外から発信」の形で活動できたらいいですね。究極は、そうやって「自分の好きな土地で子供を育てながら自分のスタジオで創作をする」…という形が理想的ですけど、ははは、いつのことになるやら。
(結婚のトピックではあっさり肩すかしを食らったけれど、もう一つアタシが聞きたかったトピックがある)
長々とプライベートなことを聞いてばっかりでごめんなさい(と、口先では謝りながら)アラサ―留学に関して何かアドバイスをいただきたいんですけど?ほら、アラサーって、日本だと「今さら留学?」と言われがちなお年頃じゃないですか?
遅くはないっていうのはこっちに来て思いました。「遅いは遅いで売りになる」と、ギャラリーの方もおっしゃっていました。ただし、「遅咲き」というキャッチフレーズを使える時間は短いから早く上がらないといけない。早く始めた人なら助走を長く取れるけれど遅咲きはゆっくりしている時間がない。30歳過ぎから「咲こう」とするのなら、「その後何ができるか」ということも考え合わせて「腹を決めてかかる」覚悟が必要だと思います。
それこそロンドンだとすごい数のアート学生がいて皆、展示活動なんかしているけれど、いつの間にかそれっきり、ということも多いでしょう。一つの機会を次にどうつなげていくことができるかが分かれ目だと思います。一人前の作家としてやれている人というのは学部課程時代から「自分の作品として売れるかどうか」という、ある意味「営業的」視点で制作していた人が多いのです。そういう意味では、社会人を経験してきたアラサ―は実地経験を強みとして活かせます。
腹をくくって来い、というわけですね。
そうです。遅くはないけど覚悟は要るよ、という。私の場合は復職するつもりでしたから覚悟の種類は違っていたけれど、それでも「覚悟」はありました。休職までして手ぶらでは帰れませんからね。日本に帰ったときに「1年何してきたの?」と聞かれるのが一番困るわけですから。
渡英後に目的や予定が変わるというのはよくあることです、私もそうだったし。でも、行けば(自然に偶然に)何か変わるんじゃないか?という他力本願ではいけないと思うんです。「場所」に依存しても何も起こりませんもの。「偶然の(チャンスとか)(男性とか)(あれやこれや)素晴らしい出会いがあるかも」と期待しすぎるのも危ないですね。それだとなんだか方向性が違ってきちゃうので(笑)。ミラクルは期待せず、覚悟だけを胸に詰め込んで、ですかね。
今このままでいいのかわかんない、海外へ行ってみようかな、っていうのは私の世代の女性がわりと考えることだと思います。それはいいきっかけですが、できればそこからもう一段踏み込んで、「一旗揚げてやろう」くらいの気概で思い切り勝負したら、自ずと結果は違ってくると思います。
だって、私たちより一世代下の若い人たちってあまり元気じゃないっていうか、どこかに必ず予防線を張っている感じがあるでしょう?十年前の私たちはそういうことをあまり意識していなかった。だから30で留学できるのかもしれないけれど(笑)。30代!まだまだ人生これからですよ!(と松下さんにすごまれ、じゃなくて励まされる情報部員であった)
松下さんのウェブサイトはこちら:http://hirokomatsushita.com/index_jp.html
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