留学体験記

【コース体験記】セントマーチンズ MA Narrative Environments 照井亮さん

2010.11.29

BA&MA課程

照井さんがMA Narrative Environmentsを卒業したのは2008年の夏ですが、日本のお住まいがユニコン東京事務所からチャリで数分という地理的理由からそれなりの交友がかれこれ5,6年続いています。2010年9月のある日、ぽっかりユニコン・ロンドン事務所に出現。セントマ時代の友人のワークショップ (inドイツ) に招かれた“ついでに” 寄ってみたって言うの。「このあとのアポイントまで時間が空いているんです」って、やっぱり時間つぶし~?いいわ、それでも。
照井さんには彼がロンドンでインターンをしていたとき 『アエラ』 の取材に乗っかってユニコン・インタビューをお願いしたことがあるけれど、上記コースも問合わせが多く回答に窮することが多いことを思い出したスタッフは相手の“ついで”に乗っかってコース解説を兼ねた留学ストーリーをあらためて語ってもらうことにしました。

照井さん、久々のロンドンですね。今回は何しに?
セントマ時代のクラスメート(オーストリア人)が先週ドイツでワークショップを開催したのですが、それに呼ばれまして。その帰りに大好きなロンドンに寄りました。

まあね、そういったついででもなければこの事務所には来てないものね。ところでドイツのワークショップって、何?
総勢40人の参加者が2週間にわたってアイディアを出し合おうという集まりでした。お題は“フランクフルトのウォーターフロントの再開発”。内訳はアメリカ人が20人、ドイツ人が10人、残りの10人がインドとか僕とかあちこちの国から。メンツがみな若いせいか最初はパーティが多かったですね。参加者の中にアイスランド人の男がいたんですけど、すごいですよ、飲みっぷりも何もかも。バイキングですから。冗談で軽く肩を突っついたつもりでも僕なんか本気で転んじゃったりしてね(笑)。インターナショナルつーのはこういうことかなどと、そんなパーティの場でも学んでしまいました。〔注: 照井さんは平均的サイズの日本人よりはるかに長身で体格がいい〕


ドイツでのワークショップ”Project M”

しかしそれにしても我ながら、このめちゃくちゃ英語でよくもまあ伝わるな、と。ははは。でも、なんとなく通じさせちゃえるんですよね。これがコースで培った力技かな。
そう云えば昨日ひさしぶりに会ったセントマ時代の教授に 「リョウはコースに居た時より英語うまくなったわね」 と言われました。日本に戻ってから意識的にガイコク人相手の仕事をするようにしていたせいかもしれません。やっぱりカネが絡むと気合いが違いますからね。

今更ながらですが、照井さん、そもそもなぜ留学しようと思ったのですか?長いこと妙にちょくちょく顔を合わせていたから、灯台もと暗しって云うの、聞きそびれていました。
僕は多摩美の情報デザイン出身なんですけれど、卒業後は、美大卒ではごく一般的なグラフィック/ウェブデザイナーっていうやつをやっていました。ご存じのように過酷な職業です。夜討ち朝駆けで先行きが見えないんですよね。僕のいた会社はまだましでしたが、横に吐くためのバケツを置いて夜通し仕事するのが普通な業界なんですよ。おかしいでしょう?こんな生活を続けて40、50歳になったときオレどうなってるのかなーって常に危機感を感じていました。

留学先にロンドンを選んだ理由は?
留学するなら英語圏というのが前提でしたし、ロンドンのデザインやアートのシーンが昔から大好きでした。好きなロンドンで英語力を身につけて日本に帰ったらlabour job(肉体労働)じゃない、もっと上等のステータスで生きて行けるかもしれないという夢もありました。

さて、本題に入ります。
MA Narrative Environmentは同じセントマのMA Design、MA Innovation Managementと並んで問い合わせが多くてしかもユニコンが返答に窮する三羽ガラスのひとつです。サンプル(日本人卒業生)も超少ないからインタビューしにくいし。で、超プリミティブな質問ですけれど、このコース、何を勉強するところなのですか?

僕がコース入学前に自分の中で想像していた内容と比較して話すほうがわかりやすいかもしれません。
実は僕、(入学前は)Environmentっていう単語がコース名に入ってるから何か建築っぽい、たとえば空間デザインやオブジェクトを作るのがメインの授業内容だと想像していたんです。しかし作ることは目的でなく、その空間デザインやオブジェクトの背後にあるストラテジーやコンセプトを人間中心に考えることがコース目的であることを入学した後で知ることとなりました。

抽象的すぎてわかりません。
ターゲットに選んだ空間や環境をどのように分析し、デザインによって改善し、より良い環境を作り上げてゆくのか?言葉を変えると、まずそこにある「場」「環境」を理解し、本当にそこに必要なものは何なのかを考えて具体策を提案しましょう、ということです。
その目的のために変化を与えるきっかけになるデザインをそこに「投げる」のですが、同時に「何を投げるか?」「投げた後にどのように人々の暮らしに浸透して行くのか?」というサステナビリティーを考えるのも僕たちの役目です。


卒業展示会

『作る』 のが目的のコースではないということはわかりました。コース名にある narrativeという単語の意味合いがわからなかったけれど、これまでの話からすると、‘narrative’って単語は「環境」とか「人の暮らし」を表しているみたいですね。コース名を無理やり和風にすると「暮らしの環境デザイン」って感じなのかしらね?
近いと思います。narrativeというのは、ナレーションと同じ語源で、ストーリーという意味に近いです。

じゃあたとえば、UCLとかの「環境デザイン学部」とどう違うの?
「環境デザイン」と言うと大体がエンジニアリング系(工学部)の範囲ですが、エンジニアリング系環境デザインの場合、デザインするのはほとんど「ハード」ですよね。アートスクールのエンパイアであるセントマの「環境デザイン」にはデザインする対象がソフトも含まれるのです。たとえばある町から地域復興の依頼があったとする。依頼の内容に沿ってその町に実際に建物を建てる、というところで終わるのがエンジニアリング系環境デザイン。
僕らの場合はもう少し先まで見据えて、どのようにそのデザインとそこに暮らす人々が共存し、支え合っていくのか。またデザインを”仕組み”と考える事で、そこに暮らす人々だけで循環できる産業を一緒に考えたりもします。その町に住む人々の意識を変えたいという依頼があればイベントを企画したりというデザインまで受け持つのがnarrative designです。
誤解(傲慢?)を恐れずに言わせてもらえば、その環境に必要なものが何なのかを考え、マスタープランとしての方向性を与えるのが僕たちの役割で、制作者(デザイナーや建築家たち)はそれを実現する為の道具となる訳です。

ふーん。「環境」に〈人間の心〉というキーワードを組み込んだところがハードの環境デザインと違うということですか?
そうです。 「どうしたら人々がより豊かな暮らしを送ることが出来るのか(文化的側面からも)」ということを大きな視点で考えなくてはいけません。だから、デザインの細かい点を検証したり、もっと言えばビルを建てたりプロダクトデザインとして物体を作るのではなく、人々をを取り巻く大きな “Narrative/Story” にフォーカスしているんです。

話の内容がまだ抽象的すぎ。具体的なサンプルをあげてください。
たとえば、ここに水槽があって魚が入っているとします。そのままでは水槽は単なる箱に過ぎず、魚にとっては快適とは言えない空間です。でもそこに何かデザインと言うか、何か一つ入れてあげれば魚の暮らしのストーリーがぐっとアップするかもしれないのです。その「何かを一つ入れる」を追求し、「何を入れるか」「何かを入れた後に何が起こるのか」を考えることが「ナラティブ」の命題であると僕は理解しています。
 
えーッ、魚と水槽が具体例?しかも「何か」を入れるって、どうせ海藻とか偽サンゴとか小石のことでしょ?それが魚の幸福感につながるってどうやって知るわけ?そーゆーのが嫌いな魚だっているわけでしょう?てゆうか『人間』がキーワードなんだから、主人公が人間のやつで頼みます。
えーっ、これ僕の最も得意とする例えなのに…ブツクサ。じゃあ、たとえばここに部屋があります。殺風景だからソファを一つ置けばいいんじゃないかとか、カッコイイ自分の好きなデザイナーのソファーをおくというだけではナラティブじゃありません。何かを置くことでその部屋の住環境や住人の意識にどんな影響を与え、暮らし(=ストーリー=ナラティブ)がどのように豊かになりうるかというところまで考えるのがナラティブなのです。たとえば、家族が顔を合わせる時間が減ってきたとか、もっとみんなで過ごす時間を増やしてコミュニケーションをゆっくりとりたいから、ソファーをおく。 発想の順番が逆なんですね。それがナラティブデザインの考え方だと思います。

数年間のモヤモヤがだいぶクリアになった気持ちがします。かなりプロフェッショナルなことを目指しているコースなんですね。クラスの仲間はどんな顔ぶれでしたか?
制作系では建築と空間系出身者の比率が高かったです。後はグラフィックやプロダクト・デザイン。ミュージシャンだけど映像も作れる、というマルチな人もいました。
非デザイン系では、キュレーター、スクリプトライターのバックグラウンドを持つ人たちがいて、コースでは作品制作をしない代わりにストラテジーとダイレクションに特化した役割を担っていました。
また平均年齢も高く、上は50歳以上の人も時々います。他の大学で教えている人たちもいましたし。
そう言えば、セントマーチンズのファウンデーション・コースで教えている半分日本人(ハーフ)がいたので僕の救いの神(通訳)になってくれるのかと一瞬期待したのですが、 「ゲンキデスカ」 しか言えなかった(そういう意味では全く役に立たないやつでした)など、働きながら勉強している人や社会人経験者がほとんどでしたから勉強になることが多かった。会社とうまく話をつけて、週3日だけとか、週のうちこの日とこの日は半日にしてくれ、など大学院と仕事を両立できるように会社に協力してもらっていたようです。こういうのはイギリスならではというか、自由度が高く、社員の向上意欲を尊重してくれるいいシステムだなと感心しました。日本だとまずないですよね。”学ぶ”ということに年齢は関係なく、また、教育を提供する側も、マチュアーな生徒が学びたくなるようなカリキュラムを提供する。こういうところは日本の大学はまだまだですね。見習わなければなりません。

生徒数は16人で平均年齢は30歳前後、既婚者が多かった。新卒は二人いましたが、やはり力不足が目立ちました。よく喋りはするけれど、社会経験の裏打ちが無いなぁというか。今は30人以上いるみたいです。

コースの仲間たちは今頃どうしているの?
セントマでパートタイム講師をしながらフリーランスでも働いているのが3人。ポーツマス大学の講師、プリマス大学の講師、O2でイベント・デザイナーしている人、スイスのコンサルタント会社勤務、愛知万博のUKパビリオンのデザインを受け持ったKew GardensにあるLand Design Studioという会社で働いてる人、いまだプ―など、色々さまざまです。
今回ドイツのワークショップに招いてくれた女性も旧クラスメートの一人。現在スイスのコンサルタント会社に勤務している彼女はボーイフレンドのカナダ人(もクラスメートだった)と共に、来年から慶應メディアデザインに研究員として招かれることになっているそうです。今回ドイツで会った時、自分たちの人脈の中からリョウ(僕)にいろんな人を紹介してできる限り力になるつもりだよと言ってくれました。こんなふうに世に出た同窓生がぼちぼち成功しはじめて嬉しいですし、僕も負けていられないなと身の引き締まる思いがします。


MA Narrative Environmentsコースメンバー

コースが与えてくれた予期せぬ喜び
僕はグラフィック・デザイン出身ですが、日本にいると(分野としてはご近所同士なのに)建築家やプロダクトデザイナーやキュレーターという職種の人たちと一緒に仕事をできる機会がなかなかありません。ですから、そういう「近いけど他分野」のプロたちと共に課題に取り組むことができたのがコースでの大きな収穫でした。彼らと共同作業をすることによって、僕自身もグラフィック・デザイナーという枠を超えてクリエイティブ業界を見渡し、自分が何をすべきかということを見直せたと思います。

こんな人に適しているんじゃないかな?
自分のキャリアや働き方をワンステップあげたい人におすすめです。グループワークを通して類似他分野の人たちの考え方や仕事内容、作業方法を垣間見ることができるし、NarrativeとMulti-Disciplineの理論を知っていると実際に仕事で何かのプロジェクトを動かす時、寄り合い所帯のメンバーをうまくコントロールできることにつながります。これはとても大切なことです。ただ言われたことをやるだけでなく、自分で何かを発信できるようになるコースです。
英語の他にもうひとつの言語(デザインとかスケッチ・スキルなど)を持っているほうが断然有利です。そして(2年課程の1年目はずっとグループ作業なので)チームワークで動くのが得意であること。
非デザイン系出身者なら(グループワークが多いので)リーダーシップがあって相手を説得できるだけの頭と英語力がある人。理論重視のコースだけど理論以外に何か人を感動させられる特別なスキルを持っていることが重要。英語が弱かった僕が言うのもナンですが、英語力がなければせめてしっかりした就業経験が欲しいですね。

志願者へのアドバイス
職場でのステータスがクリエイティブなポジションでなくても、自分がどのように人を動かしていかなる結果がもたらされたか、ということを明確にできるペーパーの提出が重要です。出来れば、ダイアグラムを駆使して見る側に伝わりやすいポートフォリオを目指すべきですね。
たとえばキュレーターであれば、「こういうコンセプトで、こういうアーティストを集めて、こういう人に声をかけて、こういう展示会を企画して成功しました、そしてこの展示会にはこのような意味や社会に向けてのメッセージが込められています」という内容のものがあればいい。
イラストや図、グラフ、ダイアグラムなどを効果的に活用したヴィジュアルなプレゼンテーション能力が必要。どんなに理論中心のコースとは言っても、つまるところセントマはアート&デザインの大学です。直接評価の対象とはならなくても、ヴィジュアルな表現能力がやはり必要ということです。

後に続く人たちへのアドバイス、ありがとうございます。では自叙伝の方に戻りたいと思います。コースを修了してロンドンのデザイン会社でインターンを始めたあたりに戻りましょうか?

置物?魔よけ?のインターンシップ時代
インターン先は見つけたけれど、やはり引き続き英語の苦労が待っていました。特に最初の1年間は夕方5時になるともう頭が痛くて痛くて、あぁ早く寝たい、みたいな状態でした。当時の社内での僕という存在はマスコットというのは図々しいにしても、置物か魔よけですよね。当初は無給インターンだったから、ディレクターもタダの珍しい見世物として置いたのかも。ちょっと退屈したときにはリョウをいじるかーみたいな(笑)。
が、慣れるにつれ少しずつ向上していった(と思いたいです)。足りない英語ながら実務と結びついていったからでしょう。

チカラ技は英語だけじゃない
ところが1年くらいたって僕がようやく仕事に慣れ始めたころ、そこの事務所が傾き始めたんです。後に別の大手に吸収されることになるのですが、末期の事務所を支えていたのは僕だったんです、マジで。この“押しの照井”が力技でMulberryの仕事を取ったんですよ。実際にはGP Studioというデザイン会社とLimsden Designという会社のコラボレーション・プロジェクトだったんですけど、僕の制作したビジュアル・プレゼンテーショが上手いことクライアントに響きまして。それで、こいつはただのバカじゃない、ってことでだいぶ仕事がやりやすくなりました。Mulberry全店に通じるグローバルストア・コンセプトをやったので、今でも多くの店で当時の僕たちの作品を見てもらっているわけです。

リーマンショック
やがて事務所は大手デザイン会社に吸収され、僕も一緒に移りました。吸収先に移ってからは(大英博物館をも含む)美術館のクライアント達から大きな仕事がばんばん舞い込んできました。中国の巨大ショッピングセンターのデザイン・ストラテジーとかドバイの遊園地とか。おかげで世界中の仕事を経験することができました。上司から「言葉は足りないけれど出来る奴」とチヤホヤされて給料も非常に良くて、これなら次に引っ越すときは住宅ローン組んじゃおっかなーっなんて調子こいていた矢先にリーマンショックです。会社も急に冷静になったと見えて、「あの日本人には払いすぎだろう」という空気になりました。そんなこんなで日本への帰国を決めました。

帰国して
美しくデザインされたロンドンの街並みに慣れた眼で見ると日本の街中はネオンやどぎつい看板が多くて、とにかくどこを歩いても品が無いしうるさいと感じました。とりあえずどこかで働こうかと考えたけれど、こういう街の景観を作っている張本人である広告代理店に履歴書を送る気にもなれず、ロンドン時代の貯金を少しずつ切り崩しつつ、ぼんやり過ごしながら色々な分野の人たちと細々とですがつながりをキープしていました。
そう言えば、知り合いの会社に一度顔を出したのですが、「月20万で雇ってやるよ」と社長に言われて言葉を失いました。ロンドンのデザイン事務所時代と比較してあまりにも悪すぎる待遇、また奴隷生活に戻ることだけは何としても避けようと思いました。それで「月給100万ならいくらでも徹夜します。もしくは完全出来高(固定給ゼロ)でも共同経営者にしてくれるならやってもいいですよ」って提案したんですよ。そしたら今度は向こうがぶち切れました(笑)。人間としての尊厳を守りたかっただけのことなんですけどね。
しかし、日本は今頃もう本当に仕事が厳しいですよね。あっても浅い仕事が多くて。センスのいいデザイン会社すら食うためにプライドを捨て始めているんじゃないでしょうか。

甘ちゃんと云われても
そんな感じで就職活動に消極的な僕は多くの人から「このご時世に考えが甘すぎる」だの「タカビー」「イギリスかぶれ」だのと意見されたけれど、自分のレベルを落とすようなことはしたくなかった。時々落ち込みそうになりながらも精神的に踏んばれたのは「このセントマのNarrative Environmentのストラテジーを欲しがるところが絶対日本にもあるはずだ」という強い信念があったからです。

アダムの気持ち
カッコつけた言い方をすれば、僕はロンドンで「知恵の実」を齧っちゃったんです。知らなかった世界を見ちゃったわけです。テートだの自然史博物館だのマルベリーだの大英博物館だのをクライアントとして仕事をする、とゆう世界を垣間見てしまった。世界サイズのカッティング・エッジの仕事も経験しちゃった。たとえば自然史博物館の仕事はミュージアムショップの什器デザインだったんですが、これは僕のチームがデザインしたんですよ。帰国前にはまだ形になってなかったんで、今日実際に行って証拠の写真を撮って来ました。感慨深いです。
仕事の環境にしてもそうです。こちら(ロンドン)ではデザイナーが社会的にすごくリスペクト(尊重)されている。しかもペイがいいでしょ。夕方7時まで事務所に残っていると「働き過ぎだから早く帰れ」って言われるし。傍らにバケツを置いて徹夜が当たり前の日本とはもう雲泥の差です。そんな味を知った後で徹夜奴隷生活の日本のデザイン業界には戻れないでしょう。エデンの園のリンゴを齧ったアダムと一緒ですよ。アダムだって一度パンツをはくことを覚えてしまったらどんな罰を受けようと二度と脱ごうとしなかったでしょう。


什器デザイン:自然史博物館

人間らしい生活
そうしているうちに、スタンフォード大に留学した経験を持つ大学時代の恩師が僕の考えを理解してくれ、多摩美のAssociate Lecturerとして迎えてくれました。相変わらずビンボーであることに変わりありませんが、思い起こせば数年前まではデザイン業界の最下層にいた僕が、社会に向けて自分の考えを発信できる立場にようやくなりつつあります。カネはないけど人間としてのdignityを持てるいい生活かなって思っています。セントマのおかげで僕の人生は180度変わりました。マジでセントマ様サマです。

母校ではどんなことを教えているのですか?
「モノづくりに不可欠な‘背景の骨組み’の大切さを深く理解したうえで作れば、その作品は世に出てからよりSustainable(息が長い)な存在になり得る」という内容の講義をしています。一時的なブームではなく、長く続くもの、本当に人の暮らしの支えになることができるものを作ろう、という考え方です。デザインは哲学であり思想であるべきなのです。資本主義の使い捨て道具ではないのです。

学生は理解してくれますか?
社会経験のない若い学生にこれを伝えることは難しいです。学部生くらいの年齢の子たちは、やはり見た目がカッコいいもの、美しいものを追い求めて、「背景の骨組み」のリサーチをすっ飛ばしがちになりますから。学校側もそれを許容している感じがありますし。でもそういう‘デザインの基礎体力’を身に付けておかないと、品がなかったり独り歩きしてしまうモノを作ってしまいます。この面においては、プロセスを重視するイギリスの美術教育が優れていると思うし‘基礎体力’がしっかり身に付く気がします。それを広められたらいいなと思ってやってはいるんですけど、難しいです。他の先生たちの理解を得るのも簡単ではないですし、日本とイギリスではそれぞれ「当たり前」のやり方が実はこんなに違うのだなぁと思い知らされることが多いけれど、「背景の骨組み」を自分で組み立てる力が不足しているから日本のデザイナーは肉体労働者になってしまうわけで、ここを変えない限り悲惨な現状から脱却できない。だから、「プリンシプルを持て」ということを細々ながら啓蒙活動しています。
たとえ受けた仕事が表面的でコマーシャルなものでも、ただ云われたままに作るのではなく、そのデザインを取り巻く周囲環境や顧客ターゲット層など、 『社会の中で意味のある/価値のあるデザイン』 を作ることができるようにならないとダメなわけです。

信念の男です
Narrativeの考え方を浸透させるのは難航していますが、信念があれば実現可能だと僕は信じているんです。今の日本の現状を冷静に見た上で次のアクションをどう取るべきか、といったビジョンを提示することが大切だと思います。社会を分析し、それに対してデザイン(デコレーションとしてではなく、広義な意味で。)をソリューションとして提案する???日本広しといえど、冷静な視点で世の中を見渡せている人間はそう多くはないのではないでしょうか。表面的にカッコいいものを作るだけのデザイン能力があるだけの人材なら他にゴマンといるでしょうが、コアになる戦略の組み立てと、信念と哲学を持って「こういうデザインじゃないとなぜだめなのか」ということを説明できることは僕の大きな武器でもあり、これがロンドンで、セントマで学んだ僕の強みだと思います。少しゴーマンに聞こえてしまうかもしれませんが…

まあね。てゆうか、セントマ自体が世界一ゴーマンな学校ですから、その血をたっぷり受け継いだ卒業生もゴーマン気質になって当然でしょう。その点については特に驚きませんが、当時、英語問題となると借りてきた猫ちゃんに変身していた、あの照井さんの口からそんなゴーマンっぽい言葉が出るようになったとは。いやいや、褒めているのよ。日本人はもう少しゴーマンに見えるくらいのレベルで主張しないと世界に届かないもの。

そうよ、もっとゴーマンになってかまわないわ。謙譲の美徳って日本の中でしか通じないもの。欧米で謙譲ばかりしていたら「無能で自信のないつまらないやつ」って云われてお終いですもの。‘オレ様’、上等じゃないの。
ええ、実は昨日会ったコースのダイレクターからPhDをやらないかって熱心に勧められたんです。講師の職を得て「教える」ことをしているうちに自分自身の勉学意欲がさらに高まってきたこと、研究したいことや課題として取り組みたいことが色々出てきたこと、空白のままになっている課題がたくさん残っていること…教授が「ぜひあなたにやってほしい」と言ってくれているので、よほどの異変がない限り来年からセントマでPhDをやることになりそうです。
まだまだ上を目指して頑張りますよ、僕は。

そう云えばちょっと太ったんじゃない?ビンボーです、なんて云いながら、ちゃっかり美味しいもの食べて楽な生活をしているんでしょう。セントマ時代は(ほんとにカネが無いせいもあっただろうけど)痩せて貧相だったよね。
いやあ、そんなに貧相だったかなあ。そう云えばユニコンの社長に「お前、どうせろくなメシも食っていないだろう。体力だけはありそうだからこのバイトでもしたらどうだ?タダ飯がついてプール、サウナを使い放題だぞ。そういえば教師になりたいと言ってたじゃないか」と言われ、ほとんどメシ目当てでロンドン近郊にあるボーディング・スクール(帝京高校。現在の国際芸術高校→https://www.unicon-tokyo.com/school/school_isca.html)の宿直アルバイトをしたこともありましたね。後半はついでにアートの授業まで受け持ったりして。社長が云った通り、確かにメシが食い放題で、こっちも腹が減ってますから何度もご飯おかわりしまくっていたら、サッカー部の男子生徒にまで「先生、そんなに喰うんですか、お代わりしてるの先生だけですよ」とドン引きされました、はっはっは。

【編集後記:2015年3月現在】
その後照井さんはインタビューでも話が出た通り2012年9月からNarrative EnvironmentsのPhD課程に入り、現在は日本に帰国。
2015年4月からは武蔵野美術大学で非常勤講師として教鞭をとる予定です。
それ以外にもこれから日本で様々な活動をしていく準備をしているらしいのでNarrative EnvironmentsやCentral Saint Martinsのデザイン哲学に興味のある個人/企業/教育機関の方はryo.teruiATgmail.com (ATを@に変えてください。)にメールを送ってみてくださいね。

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MA Narrative Environments ウェブサイト
http://www.narrative-environments.com/
http://www.arts.ac.uk/csm/courses/postgraduate/ma-narrative-environments/
MA Narrative Environments Facebookページ https://www.facebook.com/NarrativeEnvironments?fref=ts

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