ジミー・チュウ氏、福島に飛ぶ!
2014.04.22
ISCA(ロンドン国際芸術高校)
世界中のセレブリティやエディター、モード関係者から高い支持を得ているJIMMY CHOOブランド創設者のジミー・チュウ氏が4月18日に来日し、福島県福島市で開催された地域伝統工芸品の震災復興支援イベントに出席しました。
このイベントの講演で「従来からあるクラフトに新しいインスピレーションとコンセプトを与えれば福島の産業は世界をも目指せる」と熱く語ったジミー氏の姿と福島の伝統工芸品を用いた彼の作品は押しかけた海外メディアにより、瞬く間に世界に発信されました。
あのジミー氏がなぜ突如福島に?
事の発端は2013年10月、ユニコンの昔の卒業生がユニコン東京事務所を訪れたところから始まります。
彼女の名は橋本さん。橋本さんはUCL(ロンドン大学)で大学院課程修了後に実家の事業を継ぐために福島県須賀川市に戻っていたのですが、仕事で東京に上京するたびにちょくちょくユニコン事務所に顔を出してくれていました。
その日もユニコンスタッフと他愛ない近況報告をしあった後、旧知を温めあうために会食(会飲)しようということで原宿駅前のあまりはやっていない韓国レストランに流れたわけですが、宴もたけなわに入ったころに出たトピックが「福島のこれから」。
国からの援助とかボランティアの善意だけに頼っているだけでは福島はいつまでたっても自分の足で前に進めないと思う、という橋本さんの言葉に対してユニコン社長が「やはり地元産業の活性化がキーポイントじゃないか?」と発言。
(以下、2人の会話)
― 大体、キミんとこの名産品って何があるんだ?
「バカにしないでくださいよ。色々あるんですから。たとえば、会津塗でしょ」
― ああ、前にもらったあのコーヒーカップね、キミが福島空港で買ったっていうやつ。
「もう、それだけじゃありませんて。どうせ知らないかもしれないけれど、木綿やシルクだって上質で有名なんですから!」
― で、その材料で何を作ってるの?
「まぁ例えば財布とか巾着とか、そういった小物ですかね。伝統工芸品ですから、そういった感じのものになります」
― う~んん、そういったものって売れても利益幅が小さいよね。どこの地方でもやってることだし、どこの地方でも作れるものだと今以上に売れ行きが増加するってのは期待できないでしょ。木綿のがまぐちとか草履とか、はっきり言って若者はそんなに欲しくないよね。年寄りだって何個も欲しがらないと思うよ。
「確かに。若い人もあまり目を向けてくれないし」
― 仕事柄のせいもあるけど、塗り物ときたら食器で木綿ときたらちゃんちゃんこという発想を変えないといけないと僕は思うんだよ、ほら、たとえばセントマーチンズのファッションてさ、デザインもマテリアルもめちゃくちゃ自由でしょ。エーッみたいな素材を使って何だこりゃみたいなデザインで毎回世界のメディアをびっくりさせている。ま、エーッみたいなものばかり作っても福島とロンドンは同列にできないけどさ、何て言うか、新しいコンセプトとか発想する力が必要だと思うんだよ。
「ウチみたいな地域ではそういうCHANGEはなかなか難しいんですよ」
― そうだね、「八重の桜」でも頑固一徹の忠義者が目立っていたもんな。でもさ、福島県の全県民が昔気質の頑固者ってわけじゃないだろ?キミのように地方とか国内とかの殻を破ってもっと広い世界に繋がる産業を興したいと考えている若者も結構いるんじゃないの?何かインパクトのあるイベントをがつんと立ち上げて福島の若者にエールを贈るってのはどうだろ?
「たとえば?」
― オレには考えがある。
ユニコン社長が思い浮かべたのがジミー氏。
ジミー氏とは5年前にロンドン郊外に設立したイスカ(ISCA: International School of Creative Arts)の名誉校長を引き受けてもらったとき以来からの友人です。
焼肉会食から3ヵ月後の2014年2月。橋本さんと社長はジミー氏に会うためにマレーシアに飛びました。橋本さんのバッグには地元を代表する会津木綿や川俣特産のシルクが何種類も詰め込まれていました。ジミー氏のインスピレーションとアイデアによって新しいフォームに生まれ変わるために。
世界の有名人であるジミー氏の名前が福島ではいささか認知度が低かったのはちょっと計算違いであったが、橋本さんのひたむきでがむしゃらな暴走のおかげでジミー氏の福島行きも実現し、当日のジミー氏の自叙伝をおりまぜた講演も来場者の心をいたく揺すぶりました。
イベントではジミー氏の新作発表の他に会津木綿や川俣シルクといった福島の伝統産業のPRが行われました。また、ジミー氏の故郷であるマレーシアと福島の空港を活用した2国間の人材交流や若手クラフトマンの育成も提案されました。
みなさん、誤解しないでくださいね。
ジミー氏は自己宣伝や新作発表の目的で福島行きを決行したのではありません(そういうことをする必要が全くない人ですから)。
彼は福島が受けた不幸に心を痛め、福島が元気になるための手段の一つとして「クリエィティブは復興の源」というメッセージを伝えに来たのです(彼の場合、具体的にそれは「靴」という形で表現されましたが)。
「クリエィティブを育てることで、木綿やシルクといった伝統的な素材に新しいアイデアとインスピレーションを吹き込み、世界に通じる新しい製品を作り出すことができる」というアーテストのメッセージが福島の方に何となくでも伝わっていてくれたらいいのですが。
余談ですが、当日のイベントでは橋本さんの他に2名の旧ユニコン学生が司会と通訳のロールを引き受けてくれました。
東北大震災から3年。
何かの形で長く続く復興サポートの一翼を担いたいと思っていた社長と地元に新しい産業の風を吹かせたいと願っていた橋本さんの夢がこうして6ヵ月後に実現した次第です。
イベントはほんの始まりに過ぎません。本当のチャレンジは今ここから始まるのです。
東日本大震災、福島、ジミー・チュウに対して世界の関心が高い証拠ですね。
AFP
ジミー・チュウが福島で特別講演、地元素材を使った靴も公開
https://www.afpbb.com/articles/marieclairestylejp/3013030?pid=13538878
The Guardian
Jimmy Choo boosts Japanese artisans with shoes made of Fukushima fabrics
https://www.theguardian.com/world/2014/apr/18/jimmy-choo-shoes-japan-fukushima
WWD Japan
ジミー・チュウが震災復興支援イベントに参加 福島の伝統織物を用いた靴を発表
https://www.wwdjapan.com/articles/229007
ジミー・チュウの「福島コレクション」が一般公開