2010年04月15日
学校に行ってみた
Byam Shaw 吉澤彩さん
●●●●● Baym Shaw School、もう一つのセントマ ●●●●●
ファイン・アーツの名門校として由緒ある歴史を持ちながら時代の波には逆らえず、2003年セントラル・セイント・マーチンズに吸収合併される。この状態を英語で表現すれば「a part of CSM」。日本語ならば、「CSM傘下」「CSM連合メンバー」とでも表現すべきだろう。例えるならば、わけ(運営合理化)あって、千都魔家(セントマ家)に養子として迎え入れられた梅夜夢家(バイヤム家)の血筋を継ぐ者、というところか。
ではセントマ本体と何がどう違うのか?
まず、校舎が違います。元々ロンドン北の高級住宅地にあったByam Shaw School旧来のこじんまりした校舎をそのまま使っています。次は学生数。たとえばファウンデーションの学生数は全部で百人ちょっととかなり少なめ(セントマ本体は650人)。 そして学習の重点の置き方。Byam Shawのファウンデーションはファイン・アーツと建築デザインの2専科から選ぶことができますが、本体のファウンデーションに比べてより専門化されており、学部の授業内容もファイン・アーツにより深く重点を置いていると考えられています。もちろん、ここでファウンデーションを終えた後、セントマ本体やUALの別カレッジの学部に進むのに何のハンディキャップもありません。
また、血は繋がっていなくても法的には千都魔ファミリーの一員ですから、卒業証書は本体と同じ記載〈CSM卒〉。ならば、「ファイン・アーツを専門とする小さな学校」という創立時の理念を今なお揺るがず貫いているバイヤム家で留学最初の大切な1年を過ごすのって、むしろメリット?
ここの情報は意外なくらい海外に流出していないので(他カレッジにはどっさりいる)中国人学生もこのキャンパスで姿を見かけることはほとんどありません。
環境と留学生に優しい秘密の花園、Another CSM(もうひとつのセントマ)好感度良好です。
今日の随行ナビゲーター : 吉澤彩さん
吉澤さんは2008年9月にByam Shawのファウンデーション・コースに入学。
2009年9月にWimbledonカレッジのBA Fine Artに進学、現在学部1年生。
Archway駅 (Northern Line)に降りれば
真冬にしては暖かな12月のある日、ユニ記者は地下鉄Archway駅で彩さんと待ち合わせ。学校まで徒歩わずか2分の距離だが、駅を出てすぐに眼につくのがMAKITA工具店。「ここでよく作業に必要なツールを買うんですよ。授業中にあれ買ってこい!と先生に突然言われるたびに皆でぞろぞろ行く、みたいなことがよくありました」。
Holloway Roadというその道にはいろんなお店が並んでいる。特にペンキ屋さんとSainsbury’s (スーパー)は学生の勉強とお腹を満たす大事な役割を果たしているそう。
わりと地味な正面入り口
Holloway Roadを左に一本入るとすぐに校舎が見えた。ぱっと見は平凡地味な建物、というか日本の学校に近い感じ?この校舎はファンデーションと大学院専用で、学部生は別のもっと大きな校舎にいるとのこと。
ごめんくださ~い
入口横の機械に学生証を通すとガラス張りになっているドアの鍵が解除されるので、そのままぐっと押して中に入ります。入るなり目に飛び込むのが在校生の写真が貼ってある掲示板と、学生たちが座り込んで何やら熱く議論しているソファセット。ソファ横の窓からは中庭が見えます。左手に受け付け、その脇にちんまりしたライブラリーがあります。
How kind!
ところで、UALカレッジでは週に一度、留学生対象に英語のサポート授業を行っている。その英語サポート授業だが、何とByam Shawでは個人レッスン制を取っていると云うのだ! メールで予約すると、20~30分程度の個人レッスンをしてくれるっていうのよ。会話の練習や美術館に行ったときの記録の見直しやエッセイ添削など、個人の需要に合わせた内容のレッスンで、時間帯も午後6時半や7時など遅くまでアレンジ可能だそう。学生へのケアが手抜きっていうか手薄になりがちなUALにあってこれは特筆すべき特典ですね。
廊下でCrit
校舎を奥へまっすぐ進むとレクチャールームやドローイングのスタジオへと続くのですが、そちらの方向を見ると、廊下に何やらピリピリした雰囲気が漂っている・・・?近づいてみると、廊下で授業、しかも作品の講評(通称Crit)をやっていました。廊下で授業というのは英国の美大ではめずらしくないものの、Critまでやるというのは稀。この先のツアーを敢行するにはこの脇を通り抜けねばらないのだが・・・?!どうにも憚られて二人でしばらく遠巻きにしていましたが、神経の太い学生が堂々と通り抜けるのにくっついてそそくさと通過しました。
ドローイングに埋もれて
大講義室の前を抜けてドローイング・ルームへ。Byam Shawのファウンデーションはとにかくドローイングに力を入れているので、彩さんにとっても思い出深い部屋。毎週水曜にはモデルが来て、そのまわりで学生はひたすらドローイング。
この日はミュージアムに行ってドローイングするグループと、ここのスタジオに残ってドローイングするグループに分かれての授業が行われていましたが、それにしても何かギューギュー詰めで窮屈なんじゃない?
彩さんも当時そう思ったそうですが、「心配しなくてもそのうち人が減って十分なスペースができるわよ」と言う先生の?な反応。最初は不思議に思っていた彩さんも、クリスマスを過ぎたころには「なるほど。そういえば、最近見ないなぁって子が増えていたもんね」と納得。「最終的には、4割くらいの学生がコース半ばで消えていましたね」
「懐かしいなぁ」と言いながらドアを閉め、さらに奥に進みます。突き当たりは大学院生用のスタジオになっていますが、さらに先に彫刻のスタジオや各種ワークショップ(工房)があるので、いろいろな人が自由に出入りしています。私たちも、作業中の大学院生の脇を通り抜け、先に続くドアを開けます。
制作途中の作品たち
お味、拝見?
また校舎内に戻り、ここでGround Floor
(日本でいう1階)のツアーを終了。お昼になったので私たちもランチを取ることにしました。
石のサンドイッチ
キャンティーン(学食)はこぢんまりとして可愛いのだが、メニューがね。「たまにはちゃんと調理されたものも出るんですけれど、たいがいは石のように硬いデカいだけのサンドイッチがメインです」
ここまで聞いてわざわざ石サンドに挑戦する馬鹿がいるだろうか?「近所にイチ押しのパン屋さんがあるから試してみませんか?」という彩さんの素晴らしい提案に乗ることにしました。
Byam Shaw版‘安田講堂炎上?’(籠城事件)
ちなみに1年ちょっと前にCSMで授業数と教員数を減らすという出来事があったのですが、そのときByam Shawでは憤ったMAの学生たちがストを決行。そのとき彼らが占拠して本拠地にしたのがこのキャンティーンで、彼らは食糧などを持ち込み1週間くらい座り込みを続けたのでレクチャーに支障が出て騒ぎになったという。その割にどうやって収拾したのかは不明のままというのがちょっと気になります。へー、この学食がUALの安田講堂になったんだ?(って、こんな1969年の昔話、誰もわからない?)
街を散策
パン屋を目指して彩さんと街中へ。その人気のパン屋さんまでは歩いて4~5分。同じ通りにはWood Worksという材木店があり、ここも学生御用達です。
「ここです」というパン屋さんはトルコ系のお店で、入口脇で民族衣装を着たメガネのおかみさんが薄いピザ生地のようなものを次から次へと焼きまくっています。
「友達とたまたまここを通りかかって、あれおいしそう~!って入ったのがきっかけなんです」というお昼時の店内は地元の人で混み合っていました。トルコ系の総菜パンや甘~~い菓子パン類のほかに、普通のイギリスふうのケーキやパンも売っています。目移りした挙句、結局「これははずれない」という、ラム肉入りピザソースを塗った薄い生地でサラダを包んだトルコ風ラップサンドと、いかにも甘そうな菓子パン類を買ってキャンティーンに戻りました。
夢追いウサギ ~梅夜夢家こぼれ話~
Byamキャンパスの壁にこんなウサちゃんを発見。随行員に聞くと、これはByam学生の間では有名なウサちゃんらしい。
何代か前の学生が描いたというこのウサちゃんを追って校舎を歩いて行くと、衝撃の結末が・・・!というドラマ仕立ての落書きらしい。なんともユーモアがあってグッド。子供のころにやった「ウォーリーを探せ」を思い出す?
再び、キャンティーンで
学食で思う存分煮詰まったコーヒーを買いテーブルに落ち着いたころは学食のピーク時。それにしても学生たちが老けている…いくら外人とは云え、これはどう見てもファンデ学生たちではないだろう。BAにしても老け過ぎだし、MA学生かしらん?
学校の近所には工具店、ペンキ屋、木材店は揃っているが画材屋がないのでCASS-ARTとかまで買いに行かなくてはいけないのがちょっと不便だそうです。「私は下宿先の近所の小さい画材屋に朝寄ってから来る、とかしていましたけど。大きい画材屋というとセンターまで出ないといけないですね」
随行員から最後にひとこと
私の留学は、母親の勧めがきっかけですが来て本当によかったなと思います。「パンキョー」的なものがないので、好きなことだけできて楽しいです。これからロンドンに行きたいなと思ってる方々に少しでも私の母校の雰囲気をお伝えできていればうれしいです!
Byam Shawの簡単歴史 1910年、ロンドン大学King’s Collegeで共に教鞭をとっていたJohn Byam ShawとRex Vicat Coleの二人のアーティストが、自分たちでドローイングとペインティングのための学校を開く決意をしたのが始まり。Johnの作品 「The Women The Man The Serpent」が切手の絵柄に採用された経歴もあり、ラファエル前派に影響を受けて若いうちにアーティストとして成功した彼らだが、年齢を重ねるにつれてだんだん評価も収入も先細りになってくる。そこで食いぶちを稼ぐために教職についていたのだが… 大英帝国統治下のインドで裕福な英国人家庭に生まれたJohnとイートン校で教育を受けたRex。トラディショナルな性格を色濃く残す環境で育った二人が設立した学校は、「高い技術と教養に裏打ちされた確かな芸術作品を」という教育理念を持っていた。卒業生にはダイソン掃除機の創始者James Dysonをはじめ、英国の教育テレビ番組で活躍する美術評論家Matthew Collingsなどがいる。
投稿者 unicon : 2010年04月15日 01:31