2009年12月06日
【この人に聞きました】 File10. Kさん
Chelseaの学生がFine Art奨学生に抜擢されました
ユニコン学生数多しといえど、これまで選ばれた人のいなかった「全額奨学生」に、ChelseaでMA Fine Artを専攻するKさんが抜擢されました(2008年北京オリンピック男子陸上400メートルリレーで銅メダルを獲得したアンカーランナー朝原宣治さんに似ていることから、ユニコン内では「アート界の朝原くん」と呼ばれている。本人が極度の照れ屋のため、実名は今回伏せておきます)。それを記念して、というわけではありませんが、どうしてイギリスで勉強することになったのか、これまでどんな経験をしてきたのか、将来の展望について、など、諸々のお話をしてもらいました。
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もともと外国には行きたかったんです。親の刷り込みでしょうか、両親が若いときから美術関係の仕事をしているのと二人とも外国旅行が好きだったので、子供のときから夏休みはほとんど海外で過ごしていました。・・・といえば聞こえはいいようですが、安いレンタカーで安宿を点々とし、ほぼ毎日自家製ハムサンド食べて家族4人で毎年ヨーロッパ各地の美術館を回る、という結構ハードコアな1ヶ月で。今、大人になって聞けばこそ贅沢な気がしますが、そのときはとにかくお腹が痛くなるくらい嫌で嫌でしょうがなかったです。飛行機も凄い嫌いだったし。それにみんなは家でごろごろしたりプールに行ったりしてるのに、僕だけ全く違うことをしていて、夏休み後の話題が全然友達と違うんです。だから、毎年休みの後は学校に馴染むのがすごく大変でした。だからこのから芸術家ッてやな人達だなッて思ってました。でも不思議に自然と「海外には出るものだ」という思考回路が培われたのも事実です。考えてみれば、日本の近代教育は西洋のものにもとづいていますしね。もちろん、子供の頃にそんなことまで考えていたわけではありませんが。
だから矛盾するようですが、進路に美術を選んだことについても、「そうするもんだ」と思っていました。アートに進むのが普通、みたいになってて、それに対して特に深くは疑問を持たなかった、というのが正直なところというか。たださしてアーティスト志望だった訳でもなかったので高校の夏期講習で美術予備校に行ったら、ものすごいカルチャーショックで泣きましたけどね(笑)。「女の子が坊主だよ」「ベルボトムだよ!」「ハンチングだよ!!」「何だ、この人達!!!」みたいな。で、まあその流れで美大に行くことになって。とはいっても、美大に入るまでに2浪して、そのときはまた泣きましたね。「自分、できないじゃん」と気づいたんですよ。それまでは、ちょっと絵を描いてもK君はうまいねー、すごい、といわれていたのが、「あー俺って最底辺なんだなー」と。ただ親の反対とかはまるで無く、ホントにすげー支えてくれて。ソレは凄く有り難かったなーと思います。それで、なんとか学校に合格出来たのですが、大学時代は学校にはろくに行かずに本当にブラブラしていました。コレについては凄い反省と後悔しています。今,イギリスで勉強していて良く思うのは日本の大学の設備やシステムは,とても恵まれています。ソレはコチラの学校では絶対に手に入らない物ですし、とても恵まれた環境にあると思います。ソレを僕は愚かにも棒に振ってしまった訳ですから‥。その上,内部生はほとんど落ちる筈のない自分の通っていた大学の大学院にも最終的には入れてもらえず‥。ソレで今、一からやり直している訳なのですが‥。
ただまあ僕の言訳としては、小さい頃からなんとなくアーティストだ芸術家だって言っても小さなコミュニティー作って、縦社会の中でやっていて本来自分たちが否定していた筈の生き方をしているんじゃないかなと感じてしまって‥。まあ、こっち(英国)に来てそれは多かれ少なかれどこも一緒だと悟ったんですけどね。ただ、そのときはそんなこと分かるわけがないので、とにかく日本の美術界って矛盾だらけなのかもなと、感じていました。ソンでソレを良い訳に,学校も行かずブラブラしてました。
それで、まあとにかく大学を出てしばらくフリーターをして中途半端な僕は現実から逃げたかったのもあり、その後何故かパリに行きました。パリを選んだ理由としては、一番苦手そうな土地に住んでみようと言う事で、おしゃれなイメージのあるパリに行って見る事に決めました。おしゃれッて苦手なんです。デモパリッて思っていたのと全然違って凄く良い所で。自分の思っていたようなおしゃれな街では良い意味でなかったし。ただ最初は凄く大変でした‥。それまで英語すらまともに喋れなかったからホント二ヶ月くらいアーウーとかウーアーしか言ってなかったです。それでもちんぷんかんながらもフランスで語学を勉強しているうちに、理論やら文法やら、「勉強するのって凄いおもしろいな」と思ったんです。それではじめは半年いるつもりで行ったのが、家賃2万円(風呂なし、階段8階、トイレ共同)の部屋にすんでいたおかげで生活費も安くすんだのもあって、ソレと何より途中から、祖父の後押しも得られて結局しばらく滞在出来ることになりました。ソレで油絵とかも描き始めて。ホントに僕は大学時代は真剣に学校に行かなかったし、そういう意味ではフランスが転機でした。
ただフランス帰国後の就職活動は本当にへこみました。またもや「実は自分、何もできないんだな」と気づいた時期でした。今度は美術のスキルとか言う問題ではなく、現実的に役立たずと言う事が突きつけられた時期でした。とにかくなんでもやって、それはそれで意味がありましたが、とにかく大変でした。そんな中、家族の影響が非常に大きいと思うのですが、小学校の先生と言う仕事に就けたらいいなと思い始めました。理由としては、自分はいやいやながらも子供の頃から物を作る人や美術品に囲まれて育ったおかげで,いわゆるアートッて物に対してニュートラルでいれると思うんです。そしてその感覚が今の自分にものすごく大きな影響を良い意味でも悪い意味でも与えていると思うんです。なんか今ッてイギリス人も日本人も結構,いろんな事に構えてる気がするんです。例えばアートとかアーティストッて言葉に。だからそう言う偏見とか抜きで,子供に作る環境や見る環境が日本にもあったらなーと思って。それとフランス語をやったときに語学のおもしろさに目覚めたこともあり、卒業後はインターナショナルスクールで美術を教えることが現在の目標です。英語を使いながら子供達と接っせたら良いなあと思うし。ただ今の語学力では全く自信がないのでまた勉強しないといけないのですが‥。英語はホントに大変なので皆さん頑張って下さい。
とにかく教師になったとして一番取り組んでいきたいと思うのが、僕も良くわかった気になってしまいがちなのですが、知る事と理解する事は違うんじゃないかなと言う事をミンナで考えれたらなーと思います。ソレが結局,偏見や勘違いを産むんだと思うし。一番初めにそういうことについて考えたのはフランスにいたときでした。フランスの本当にいいところは、前にも述べたように日本人の知ってる「フランスのいいとこ」じゃないじゃん、「みんなが知ってること」って嘘じゃん、と感じたんです。日本は島国だからなかなか他所の国に行くのが難しいとは思うんです。だから結構情報に頼ってしまうと思うんですけど、結局情報ッて誰かのフィルターを既に通しているので、ソレがミンナに取っての真実かどうかはわからないと思うんです。いろいろな情報に頼ってしまう事によって今でも西洋に対して誇大妄想持ちやすいと思うんです。例えばこれはホントにあくまで僕個人の主観ですが、僕のみている限り他の国(イギリス人も含め)の学生も日本人と良くも悪くも人間としては基本的には変わんないと思います。別にイギリス人だからッて皆が皆、絵が上手い訳でもないし、面白い物を造る訳でもない。そして僕のように日本から来る学生さんには、日本の勉強をもう一回自分なり見直せたら良いのではないかと思うんです。例えば日本の教育では入試のためにデッサンばっかりやらされて、などと言うけど、デッサンの良い所は絵が巧くなるとかではないんだと思うんです。めんどくさいデッサンをする事によって客観性と忍耐力が養われる事が一番大事だと思うんです。ちなみにホント僕が言うのもおこがましいんですが,客観性と忍耐力ッて日本人の美徳だと思うんですよね。しかもデッサンッて凄い地味だけどホントいろんな物が見えてくるんですけどね。ただ僕はそう言う所がすごい古くさいんで,今時はやんないのはわかってるんですけど‥ごめんなさい。
ちなみにコースは凄く楽しいです。チェルシーは立体をやる人には嬉しい事にかなりワークショップが充実してます。これはロンドンの大学の中でも屈指だと思います。スタッフもミンナ凄く親切だし。アーとかウーとかしか言わない僕にも色々手取り足取り教えてくれるし。ただ正直、自分としてはFine Artってそんなに価値あんのかな?自分の人生に・・・なんて思ってる部分が今でもあって、勉強は楽しいけれど特に去年はすごく不安でした。物を造る事は凄く好きなんです。ただこれからMAを卒業して、院卒って肩書きを持ったところで何の意味もないじゃないかなとタマに思います。マア僕の場合基本的にウジウジした性格なので今は,ここまで来たのだし出来るだけポジティブで行こうと今は心がけています。
それになにより、こうして奨学金をいただけて、学費も生活費も何ら心配することなく伸び伸びと一年勉強できるというのはうれしいことです。後、なにより僕みたいのでも人に認めて貰えたと言う事は、単純に凄く嬉しいし有り難いなあと思います。生きてて良かったなーみたいな。とにかくほんと感謝です。それとPost Graduateコースにいる間に現代アートの知識が少しつきました。それまではほんと現代アートと言う物に関してはほとんど無知だったのですが、やはりそのあたりの分野にはこの1年でちょっとは詳しくなりました。それにやってみると意外と面白かったです。ただ周りの学生はホントに色々良く知っているので,今でも良く恥ずかしい思いもします。とにかくMAを出たら、次はインターナショナルスクールの教師資格が次の目標です。それがなんとか取れたら、先生になるべく就職活動してみようと思っています。
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さすが奨学生、というべきか、独自の視点を持ってこれまでのことやこれからのヴィジョンを語ってくれたKさんのお話に、「ほぉ~~、なるほど」の連続でした。彼が先生になって子供たちの教育をする、その日が遠からず来ることが本当に楽しみです。こういう先生に美術を教わることになる子供たちは幸運ですね。その教え子からも、また世界に羽ばたくようなアーティストなりデザイナーなり先生なりが出るのでは?と、これからの美術教育に思わず期待が高まったインタビューでした。
投稿者 unicon : 00:29