2008年11月10日
【この人に聞きました】File7.宮川朋与さん
City大学卒業生 London Symphony Orchestraマーケティング部にて勤務中
宮川朋与さん
City University(シティ大学)卒業生の宮川朋与さんが、London Symphony Orchestra (LSO) のマーケティング・コーディネイターとして勤務しています。宮川さんは2003年にWestminster大学の一年間のコースに参加し、翌2004年シティ大学のMA in Arts Managementへ進みました。大学院の勉強のかたわらLSOでインターン活動を続け、シティ卒業と同時に社員として就職。現在就業4年目を終えようとしています。
宮川さんは2002年、東京音楽大学のヴァイオリン科を卒業後、1年半楽器店で弦楽器の販売員をしていました。しかし、クラシック音楽の本場ヨーロッパで音楽マネジメントを勉強したいという夢が捨てきれず留学を決意、退職します。留学先の選択としては、「演奏家としての技術留学だと確かにドイツ、ウィーンなどが人気ですが、マネジメントになると、行く先はニューヨークかロンドンが主流です。ニューヨークという選択肢も考えたのですが、英国は大学院を1年で修了できることと、やはりクラシックの本場はヨーロッパだからということで」最終的にロンドンを選んだそうです。
「留学したい」という希望自体はかなり早い段階から持っていたそうで、きっかけは「中学のときにバングラデシュへ行ったことだった」というめずらしいエピソードの持ち主です。「中学生の時の私は今よりもずっと貧しい国に住んでいる人の事を考えていて、先進国は途上国にどういう援助をすべきかというテーマでNGO主催の作文コンクールに応募したんです。それで入選して、バングラデシュへ2週間旅行に行く機会を得ました。そのときの体験がとても強烈でした。はじめの1週間は首都ダッカへ滞在したのですが、後半は奥地の田舎の村へ行ったんですね。そこで本当にショックを受けて・・・。とにかく、誰もがすごく貧しいんです。今まで、日本でぬくぬくと育って、恵まれた生活をしながら国際援助だ開発だ、って偉そうに言っていたのが、急に現実を突きつけられてガーンと頭を殴られたような感じでした。それで、もっと世界を見なければ、と思うようになったんです。」「でも、その一方で、バングラデシュの人たちはとても幸せそうなんですね。大人も子どももいつもニコニコしているし、言葉がわからない私に一所懸命話しかけてくるし、しきりに自分の食べ物をおすそ分けしようと勧めてくれるおじちゃんがいたりして。で、そのおじちゃんのくれたものを食べてお腹を壊しちゃったりするんですけどね(笑)。でも、そういう意味で彼らはすごく豊かなんです。日本に帰ってくると、ものは溢れているし生活は恵まれているのに、なんだかみんな疲れた顔をしてる・・・というのが印象的でした。とにかく、この狭い世界の中だけに居てはいけないのだ、とこの経験を通して強く意識するようになりました」という宮川さん。高校卒業時、ちらりと「米国の音楽大学へ進学しようかな」とも考えたそうですが、結局東京で音大に進むことになります。
ところで、もとはヴァイオリン奏者を目指して大学に入学した宮川さんでしたが、裏方に転向したことについてこのように語っています。「在学中にコンサートの企画をしたり、オーケストラの事務所でインターンをしたりという経験を通して、演奏家を支える役割にとてもやりがいを感じたこと、また演奏家としての自分の才能の限界を感じ、三流の演奏家になるより一流の演奏家を支える一流の裏方になりたいと思うようになりました。」「私は都立の普通高校に通ったので、まわりに音楽、とくにヴァイオリンをやっている子はほとんどいなかったのですが、音大に入学すると当然周りは皆上手ですよね。練習にしても、一日7時間も8時間も弾いてもまだまだ足りない、ひたすら楽しい!という子がたくさんいる中で、私は”3時間やったから今日はもうおしまい・・・ “みたいな感じで。そうしているうちに、演奏家というよりは彼らを支える仕事のほうに目が向くようになったんです。」
渡英時のコース選択については、「音楽マネジメントのコースと決めていたので、音楽系に強い大学を探しました。City大学とGoldsmiths College、Westminster大学が候補に挙がったのですが、まずはWestminsterで語学の勉強、マネジメントの基礎を勉強しました。音楽といってもここはRockやPopに強いのですが、語学の
コースが充実していたのとインターンも含まれるプログラムだったので“充実した一年間を送れそうだな”、と思って選びました。」
Westminster大学在学中に、City大学へ出願するためユニコンを訪問。まずはIELTSのスコアを上げるようアドバイスされ、IELTS7.0を取得した後出願し、無事に合格しました。「City大学のMA Arts Managementは非常に評判がよく、モジュール内容も自分が学びたいことを網羅していたのと、キャンパスがロンドンのzone1内にあり、バービカンセンターを含む各コンサート・ホール、美術館等へのアクセスがよかったのとでここを第一希望にしました。」「英国ではただやみくもに自分で出願したりコンタクトしても無視されるということが非常に多いのです。なので、City大学も、そのまま自分で申込をしてたらきっと入学できなかったと思います。アドバイスを受けてしかるべき準備をし、ここぞというタイミングでユニコン経由で申込をして本当によかったです。」と謙遜しながら語ってくれた宮川さんですが、「目指した道を全うする」というガッツは人一倍だったようで、それがCity入学から卒業、就職までの流れに大きく働いたことは言うまでもありません。
実は宮川さん、Westminster在学中に始めたLSOでのインターンを、Cityでの大学院時代にも続けていました。このインターン自体も、渡英直後から「絶対にオーケストラで働きたい」と周囲にアピールし続けて得たポストでした。大学院は週に3日の授業とはいえ、残りの日も通常勉強に追われて終わるのがほとんど。ところが、宮川さんはこのうちの3日をインターンに充てていました。「きつかったですね・・・。とにかくずっと働くか勉強かのどちらかしかしていなかったですね。もう絶対にあんなことは無理だしやりたくないですね~!」とさわやかに笑っていましたが、インターンと両立しながら修士論文を仕上げるのは一言では言えない大変さだったようです。それでも、「Cityではクラスメートの国籍が様々で、世界中からいろいろな分野のアートが大好きな人が集まっていました。色々な文化背景が学べるとともに、“アートが好き“という共通項でつながれるのでとても楽しかった」そうです。また、「アート・マネジメントは実学なので、今考えると、インターンしながらというのは逆によかったのかもしれません。インターンで経験したことがそのまま修士論文のテーマにつながったので」とも。
シティの卒業が近づいた頃、ちょうどインターン中のLSOマーケティング部門で急にポジションの空きが出て、社員の募集がかかりました。外部募集と同時に内部応募も可能だったため、宮川さんはこのポジションに応募、採用が決まり社員として就業することになりました。「私はEU圏外の人間なので、普通だったら採用してもらえなかったと思いますが、インターンをしていたおかげで職場の同僚と顔なじみだったこと、マネジャーが私のことを信頼していてくれたこと、日本の学生時代の裏方経験などが重なって採用が決まり、労働許可証を申請してもらえることになりました。チームには即戦力が必要だったし、やはり、こういうのは縁ですからね・・・ラッキーだったと思います。」と振り返る当時から早4年、忙しくも充実の日々を送っています。
「この仕事は、担当コンサートであれば夜も土日も出勤ですし、決して高給でもない、本当に音楽が好きでないとできない仕事です。でも、やはりクラシック音楽が大好きな仲間と協力して仕事のできる喜びは何物にも代えがたいものがあります。」と語る宮川さん。「一流の裏方に・・・と思って渡英してきましたけど、5年が経った今でも未だに一流の裏方とは程遠いんですよネ。でも、がんばります!」と今後への意気込みを見せてくれました。今後の活躍が楽しみな一人です。
宮川さんの勤めるLSOのホームページ
http://lso.co.uk/home/
<写真解説>
1.宮川朋与さん
2.学生時代の寮でのパーティ
3.LSO野外コンサートの様子
投稿者 unicon : 2008年11月10日 11:31