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2008年12月01日

【なに様ブログ】
MBA主導経済の顛末

 世界経済が揺れ動いている。アメリカのサブプライム・ローン問題に端を発したこの未曾有の金融不安は世界中に多大な影響を与え、それが世界同時恐慌をも引き起こそうとしている。

 
 こんな時期にあるサイトでMBA留学フェアという告知を目にした。今回の金融恐慌の発端となったリーマンブラザースやメリルリンチなどの企業にはつい最近までMBA保持者たちが列を成して入社し、大都市中心にある最新の豪華ビルにある事務所で1日中コンピューターの端末の前に座り、モニター内で巨額のお金(この世界ではマネーというらしい)を動かし、億単位の収入を得る社員となることを目指してきた。

 よく考えて見れば、今回の経済危機の元凶はアメリカを中心にこれら金融会社をリードしてきたMBA保持者たちが作ったビジネスモデルによって引き起こされたと言っても過言ではなく、彼らは言い換えれば経済テロリストと言えなくもない。そのような犯罪者たちを生み出し、今回の金融危機以前と内容が変わったとは思えないMBAへの留学を推奨することに私は合点がいかない。

 
 MBAはもともとアメリカで生まれた大学院学位で、実務をベースとする高度な職能に対する評価を学位という形で確立したものだ。その根底にあるのは基本的に数字至上主義で、金融をはじめとして全ての産業において経済指標を数値化し、そのポートフォリオをベースにした戦略を主にコンピューターの中でシュミレーションする。この手法が農業や鉱工業に代表される実体経済と大きく異なり、コンピューターの中で無機質に繰り広げられるグラフの動きや数字の変化がビジネスであると多くの人たちに錯覚させてきてしまったのではないか。同時にコンピューターの発展が期せずしてMBA隆盛の後押しをしてきたように思うのだ。このような経済を「キイボード・エコノミー」と呼ぶ人がいるが確かに言いえて妙だと思う。

 
 今この時代だからこそ学ぶべきは人間の根底に問いかける学科であるべきだと思う。
時流に迎合した一過性のビジネス手法を学ぶことよりも、急激なグローバル化やテクノロジー化が進む中、今こそ人間個人個人がどう生きていくのかといった命題に正面から対峙する必要があると感じる。社会や文化、宗教や哲学などの『人間学』とでもいうような学問こそが、不透明で混迷する世界にあっても自分を見失うことなく生きていく自信と力を与えてくれると思うからだ。

 多くの経済アナリストや評論家たち(その多くがMBA保持者だが)が、あれやこれやの統計指標を基にして世界経済の動きを予測してきたが率直に言って当たった試しがない。っていうか当たっていればこのような事態にはならなかった筈だ。押しなべて彼らに共通するのはビジネスや社会を数字上あるいはコンピューター上で分析できるという傲慢な姿勢だ。真の構成因子は『人間』という予測不可能な非常に有機的な存在であるという大前提に気付いていないかのようだ。

 そんな人たちに今もっとも必要なことは、青臭いと言われるかもしれないが「人間はなぜ働くのか」「生きがいってなんだ」「人はどうして争うのか」「お金ってどうして必要なのか」といったようなことを正面から論じ、それを追求していくことだと思うのだ。その延長線上にビジネスや政治そして社会システムがあることを決して忘れてはならないと思う。世界を動かしているのは株でもなければ、マネーでもなく人間なのだから・・・。

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2007年08月22日

【なに様ブログ】
愛国心って何だろう

このごろ日本からのニュースでよく耳にするのが愛国心に関する話だ。国を愛する心つまり愛国心を子供たちに持たせる教育が必要か否かの議論だけれども、正直政治家の仕事のネタを提供しているだけのような気がする。

自分の生まれ育った国に愛着がない奴はいないと思うけど、自分の回りを見回してみても、毎日のニュースや事件を見てもそんなセンチメンタルな気持ちなどぶっ飛んでしまうことばかりが目に付くのが今の日本だ。

このところっていうか過去においてもず~とニュース紙面を賑わすことと言えば相も変わらず賄賂だの談合だの公機関のからまった汚職問題だ。いまだに日本には多くの越後屋さんだの備前屋だのがいて、お代官さまに金やモノを渡して仕事を優先的に回してもらったり、はたまた補助金を増やしてもらったり時代劇によくあるベタなシーンが現実に生きている。ただ現実には黄門さまだの桃太郎侍などはゼッタイに存在しないことだけがドラマと大きく違う点かもしれない。

また国民には実感の乏しい景気回復を一番謳歌している企業の中に散々バブルを膨らませ巨額の不良債権を生み出し、挙句に国民に全ての負債を丸投げドンした多くの銀行や金融機関がいる。日本では銀行って言えば公機関みたいな印象があるけど要するに利益目的の純粋な私企業なわけで、何故あれほど堂々と偉そうに国民のお金をピンはねすることができるのだろう。そんな人たちが日本では尊敬され、それなりの地位にいて国の運営を担っているわけだ。一般の人々がそんな国をどうして愛することができるのだろう。

日本人留学生の立場で言えば、おそらく殆どが日本と言う国にお世話になっているなどとは感じていない。留学生の多くが日本大使館や領事館の場所さえ知らない。留学生などは日本政府からみれば取るに足らないどうでもいい存在なのか奨学金はもとより集える場所もなければ有益な情報を提供するといった公的サービスは殆どない。他方日本に留学する多くの学生(その殆どが中国人学生だが)には、奨学金はもとより留学生用の宿舎だの情報センターだの我々日本人の税金で多大なサービスを提供していることに比べれば雲泥の差だ。こんな国をどうして日本人留学生が愛することができるだろうか。

愛国心って持てと言われて持てるわけはなく、自然に生まれてくるものだと思う。人間たとえば一宿一飯お世話になれば、恩にも着るしそれに報いようともする。そんな実感のない多くの留学生たちに国を愛せよといっても無理だし、まずは目に見える形でさまざまなサービスや情報を提供し、彼らの就学をサポートするべきだと思うのだ。パスポートの更新のときぐらいしか存在意味もなく、おまけに多大の費用を要求するのでは農民から年貢米を搾取するピンはね代官となんら変わらない。

多くの日本人がサッカーや野球などのスポーツに熱くなるのはなぜだろう。それはスポーツだけが本当の意味でズルや不公平のない世界と映るからかも知れない。つまり正直に一生懸命自分がやれば、越後屋さんや備前屋みたいに裏から手を回さなくとも、黄門さまや桃太郎侍の助けを借りずとも、正当に評価されるという実際の日本社会では決して起こりえない真実がスポーツだけにはあるからだと皆が感じているからかもしれない。

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2007年05月01日

【なに様ブログ】
っていうかダメかもしんない?

日本ってもうダメかもしんない。
何だか最初からショッキングな言い回しで申し訳ないけどこの頃やけにそう感じることが多くなった。

街を歩いても電車に乗ってもやけに老人が目立つ。別に老人に偏見がある訳ではないけれど(っていうか自分も老人の一員だけど)非常に近い将来日本の人口の1/3は老人になるのは厳然たる事実なのだ。
一方では明らかに急激な少子化が進んでいる。早晩その老人たちが、日本社会の中で最大のマーケットとなるのだから若者たちの仕事の機会はそのような老人たちを対象としたものにならざるを得ない。具体的には老人施設での養護や介護、退職金や年金をあてにした金融業そしてシルバー世代を対象にしたサービス業などが一番雇用を生み出すと考えられる。ファッションなども老人のための着易さを強調したユニバーサル・デザインが主流になるだろうし、インテリアであれば必ずバリア・フリーを考慮したものでなければならなくなる。

日本の個人金融資産は1400兆円だそうだ。でもこのところの円安で対ポンドにおいてもここ数年で25%以上も目減りしている。つまり1000兆円になった訳だ。当然老人社会の到来によりその金融資産は消費される。退職後の老人たちは生み出すよりも消費するお金のほうが多いに決まっているからだ。結局この膨大な金融資産はガンガン減り、日本人全体がビンボウになるのは必然と言える。

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前にも書いたことがあるけど、日本人の英語力の低下は歯止めがかからない。アジア23カ国のTOEFLスコアの比較でも何と22位で、23位の北朝鮮とせりあっていたりする。ユニコンが把握している10年前の学生200名のIELTSスコア平均は5.5なのに対し今は4.5だ。この10年間に社会の国際化は進み、それに即応するように日本に来るネイティブ英語教師の数は急激に増大してもいるし、英語学校だって増え続けているにも拘らず、明らかに1ポイントも落ちているのだ。

何だか論旨がバラバラだけど、つまりは老人ばかりの国となる日本は英語も出来ないビンボウ人の集まりとなりつつあるこということを言いたかったのだ。それ以上に驚くのはそのような環境の中にいる日本人がノー天気なことだ。多くの若者は自分たちが年金を受け取れるとは思っていない。彼らが退職するころには今ある膨大な金融資産は底をつき、頼みの親たちも殆ど死んでいるだろうし、それこそ年金でもなきゃホームレスになるしかないじゃん!!そんなけっこうシリアスな自分たちの近未来を笑いながら語っている現状を見るとゾッとする。真剣に考えると怖いので考えないようにする多くの若者は刹那的で享楽的になっているように見えるし、確かに夢を持てって言われてもこんな将来じゃ無理かも知れない。少子高齢化により数十年後には確実にゴーストタウンになるであろう東京の高層マンション群をみると、それが墓場にさえ見えてくる。

一方中国やインドなど多くの人口を背景に急激な経済発展を遂げている国々があり、逆に人口は少なくとも英国のように世界中から人や富を集めているところもある。そんな国々を歩くとちょうど30年前の日本がそうであったように人々の前向きなエネルギーや活力を感じる。世界を見回せばそんなところがたくさんあるのにその輪に入れない日本ってマジダメかもしんない。留学すれば夢と希望と将来性に満ち満ちた場所に行ける。

そして今ならまだ間に合う。

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2007年02月08日

【なに様ブログ】
ヨーロッパは遠い?

先日見ていた日本のトレンディ・ドラマで、自分の夢のためにフランスに旅立つことになったある女子高生の彼氏が、二人の愛が真実ならパリに行くべきだという親友たちの後押しを受けてパリに出発するという感動的な場面をやっていた。

そういえば成田空港を舞台としたこの手の涙と感動的な別れのシーンって日本のドラマや映画ではけっこうお馴染みだ。でも何か違和感を覚えた。このドラマではその高校生もその友人も超大金持ちで学校の授業も殆ど受けず毎日遊び人生活を送っているという設定だった。そんな彼らにとって飛行機で片道11時間程度のパリに行くことがまるで今生の別れのように大げさな別れを意味することなのだろうかという疑問が沸いた。
全員ヒマな金持ち連中なんだから行きたきゃ1泊2日でもなんでもミンナで一緒にパリに行けばいいのだ。それだとドラマにならないので感動的な別れを演出したとは思うけど時代錯誤のような気がした。そしてこの国際化社会にあってもなお一般の日本人にとって外国に行くってまだまだ大変なことなんだということが不思議に思えたのだった。
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そういえば日本のテレビ番組で相も変わらず人気を保っているのはスチュワーデスもののドラマだ。
たいていは某航空会社の国際線スチュワーデスがさまざまな国々で起こる事件を人々との触れ合いや風景などを織り交ぜながら解決するという実に他愛もない内容なのだが、多分にスチュワーデスという職業への庶民が持つ憧れが人気のベースになっているように思う。でもスチュワーデスって確かに英語力を駆使し海外をまたに駆け、有名デザイナー作によるユニフォームを着て颯爽と歩く姿はかっこよくはあるが良く考えれば空飛ぶウエイトレスさんという肉体労働者なのだそんなスッチーをヒロインにしたこのようなドラマがけっこう受けたりするのはやはり憧れの外国を仕事場にする彼女たちが文字通り雲上人だというイメージが、いまだに日本の一般庶民にあるからなのかもしれない。また通信や交通が発達し、まるで国内にいるのとたいして変わりも無い現実のロンドンやニューヨークなどの生活の現実は日本ではあまり話題にならない。
ロンドンで生活する多くの日本人であれば、憧れや妄想で取り上げられる日本のメディアを通した外国生活が前時代的なものであることはすぐに分かる。では何故その現実が日本で広く知られないのだろう。つまりカッコ悪いのだ。ロンドンの真ん中で日本の書籍を立ち読みし、その帰りにカツカレーやラーメンをかっ食らい、夜はカラオケで演歌を熱唱する姿がカッコ悪いのだ。そしてそんなロンドン生活を送った人たちが日本に帰ると「やっぱイギリスって階級社会で保守的よね~。」などとステレオタイプのコメントを発し、何も知らない田舎モノの日本人は「やっぱりねえ~」と頷くのだ。そして「英語はもうペラペラよね~??」と想定内のことを聞かれると「ウン。生活には困らなくなった程度かな~」と日本に到着する前から用意していたどうにでも理解される曖昧な返事をするのだ。

今日も日本のテレビドラマでは、滑走路を颯爽と飛び立つ飛行機の場面や、ペラペラの英語でカッコ良く「新聞いかがっスか~?コーヒーいかがっスか~?毛布いかがっスか~?」と叫んで回る機内でのスッチーの姿とかをバックに、劇的な別れのシーンが繰り広げられている。

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2007年01月05日

【なに様ブログ】
ゴーマンかましてよかですか??

ユニコンは総勢5人のスタッフしかいない超小所帯の留学機関だ。

厳密に言えばロンドンに2人そして東京事務所に2人+半人前のバイトが3人なので4.5人ぐらいになる。このスタッフで年間300名以上の学生の入学を扱い、ロンドン芸術大学だけで年間160~180名の学生の入学業務をやっている。こう書くとけっこう忙しいと思いきや意外とそうでもない。それはスタッフが業務に精通していることもあるが、20年以上におよぶ経験を通じ留学生に本当に必要な情報の蓄積と問題処理能力があるからだ。

どんな仕事でもその内容を見ると業務上の問題やクレーム処理に費やされていることが多く、生産性をともなう前向きなことって意外と少ないものだ。ユニコンもその長い歴史の中で、さまざまな問題やクレームの処理に多大の時間を費やしてきた。そこで気付いたのはいわゆる対処する業務のあり方ではなく問題を未然に防ぐための予防業務に重点を置くことが非常に大切だということだった。
学生が抱きがちな疑問や質問を予測した留学マニュアルや外国生活の手引きを充実させることにより事前に多くの問題を解消しておく。そのためにユニコンのマニュアルや手引書は正直に正確にわかり易く率直な内容であるべきで、留学を出発前,留学中,帰国後の3つに分けた時、最も大切な留学中に重点をおいたさまざまな問題の解消を目的としている。場合によっては留学の夢を打ち壊すようなことでもそれが現実であれば敢えて伝える。留学の楽しい部分ばかりに紙面を費やす一般のマニュアル本にありがちなあまり重要とも思えない事項を羅列し情報のページ数だけを増やすようなことはしない。

ユニコンを通り過ぎる多くの学生は、時にこのような姿勢に戸惑いや場合によっては不快な思いをすることもあるに違いない。でも留学に限らず自分の夢を叶えるにはさまざまな困難や試練があるという現実を真正面からぶつけることが大切なのだ。このような姿勢はユニコンが扱う大学に対しても同じだ。
日本の教育や社会に馴染みのない英国人はえてして学生を誤解しがちで、間違ったピント外れのアドバイスをすることも多いし、それが変だなと思っても限られた英語力の日本人学生は反論できないのだ。このような半可通な英国大学や英国人に対しユニコンは警鐘を鳴らしもするし苦言も呈する。それに耳を傾けようとしない英国の教育機関とは付き合わないのがポリシーだ。
「英国全ての大学への入学受付サービス」などを売り物にする機関もあるが、ユニコンは学生に代わって大学を選別しているという自負がある。っていうか何も知らない学生に選択させるというのは無責任だと思う。

英国大学関係者の中でユニコンのことを“リトル・ジャイアント”と呼ぶ人がいる。確かにこんな零細な組織が英国大学全体に留学する日本人学生総数の10%超を扱うというのは誰の目から見ても異常なのかもしれない。豪華な建物,施設も何もない倉庫みたいだと揶揄される事務所に、ハッタリも美辞麗句もない正直なだけの1~2名の社員がいて、高価なカラーのパンフレットではなくPCを駆使した手作りのマニュアルや資料しかなくてもこんなに大勢の学生が来るのはどうしてなのだろう。それは学生が大人社会の表面的な価値基準や常識などに左右されず彼ら自身が見たり聞いたり感じたりしたことを信じることができるからかもしれない。

そういう面では権威や見てくれに騙される大人たちよりも遥かに賢明なのだ。そんな学生たちが集まるユニコンはリトルでもなければジャイアントでもない単にナチュラルなだけなのだ。

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2006年11月02日

【なに様ブログ】
ビンボーな日本人はどこへ行く

エリコさんは日本の大学卒業後10年近くファッション系の出版社に勤務していた。仕事がら海外との交流や情報収集が今後のキャリアにとって不可欠と考え留学することを決めた。
当初は大学院を目指すという希望ではあったが、長く英語から遠ざかっていたこともあり、まずはファッション・ビジネスの基礎科(1年間)に昨年入学した。その彼女が1年のコースを修了後、大学院には進学せず日本に帰ることにしたのでお別れの挨拶にユニコン事務所に来た。

ひととおり世間話した後、なぜ当初の大学院進学を諦め帰国することにしたのかという話題に移ると彼女は目を見開いて急に饒舌になった。

エリコさんは言うのだ。
「私絶対にかなわないと思ったのです。誰に対してって??クラスや寮で一緒になった中国人や韓国人に対してです。彼らは本当に金持ちでおまけに英語だって私たち日本人よりずっとできるんです。私は日本にいるとき彼らがこれほど金持ちだってこと本当に知らなかったんです。だって日本にいる中国人と言えばラーメン屋とかフーゾクでバイトしてせっせと本国の家族に仕送りしている人ばっかりだし。でも私が住んでいた寮の隣の中国人留学生は入寮するや否やベッドから机、電球に至るまでデパートに全てオーダーして揃えたのです。そして、退寮するときには何とそれらの家具を全て捨てるというので私と他の日本人学生で分けてもらいに行ったのです。その中国人学生はその後、市内の高級アパートに引越ししたのですが、その時また新たに全ての家具や生活用具を買い換えたのですよ。また食事といえば殆ど外食で、これまた私たち日本人学生はよくご馳走になりました。
おまけに彼らはメチャクチャ勉強するしよい点数をとるためには手段も選ばないんです。1年間同じクラスにいた韓国人学生は入学当初殆ど英語ができなかったのに、終わりころにはもうペラペラなんです。おまけに彼らのガッツというか人を押しのけても主張し我を通す姿勢は私たち日本人にはマネできません。へたに大学院なんかに行って苦労の末やっと卒業し就職できたとしても経済発展が著しいこのような国々とのビジネス競争からは逃れられませんよ。彼らには絶対かなわないって思うし、付き合っていける自信もないです。こんなことを言うと情けないとか根性が無いなどと言われそうだけど、それは他人事だから言えるわけで実際にロンドンにいる中国人・韓国人留学生をみれば誰しもそのような気持ちになりますよ。結局私は日本に帰り、静かに目立たず気心知れた日本人の中だけで地味に生きて行くことに決めました。それがはっきり分かっただけでも私の留学は大きな意味がありました。」

エリコさんのこのような話を聞いているうち何か絶望的な気持ちになった。確かにロンドンの中心街をブランド物で着飾って闊歩するアジア人といえばつい10年前まで日本人と相場は決まっていた。ところがどうだ今は中国人や韓国人なのだ。エリコさんの話でそれを改めて再認識することになった。
バブル経済の破綻後長く低迷していた日本の景気もやっとこのごろ改善の兆しが出てきていると言われている。しかしホリエモンや村上さんみたいな人を除けば、多くの日本人にはその実感はないようだ。この10年に渡る長い景気低迷が家計に与えたダメージは多少の給与・ボーナスの増加で補えるほど小さくないし、それ以上のダメージは日本人の自信を喪失させ精神的な閉塞感を植えつけてしまったことだと思う。つまりエリコさんではないが、自分が熾烈な国際競争のなかにあるのは分かっていても、それに立ち向かい挑戦する自信も気力もなく、留学や英語などで苦労してそんな中に飛び込むよりも国内でこぢんまりと波風立てずに心地よく生きて行く人たちが集う日本は「ひきこもり」国家になるのかもしれない。

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2006年07月04日

【なに様ブログ】
留学準備は英国で??はあ~?

英国大学に進学するのであれば、その準備の多くは英国でやるのがベストだと思う。というより英国でやるべきだと思う。


近年留学準備を売り物にするさまざまなコースが日本で行われている。ついでに言えば、このようなコースの授業料は結構高い。しかし留学の準備ということをいくつかの点で分類すると、日本でやれることは非常に限りがあることに気付かされるし、そのような限りあることに多大の時間とお金を費やすことに単純に疑問に感じるのだ。


まず留学を成功に導くために必要不可欠な準備を大別すると勉学面と生活面の2つに分けることができる。
勉学面は英語のトレーニングに始まり、アカデミック・スキルやリサーチ・スキルなどの実際に授業が始まった時のための準備があげられる。この中で現地つまりここでは英国でないとやりにくいのがリサーチ・スキルのトレーニングだ。理由は簡単で日本ではリサーチに必要な英語のマテリアルが限られていること。またアカデミック・リサーチへのアドバイスや評価ができる教師が少ないことも挙げられる。


特に大学院レベルとなれば、このリサーチ・スキルをトレーニングできないことは致命的といえる。
逆に日本でできるのはノート・テイキングやメイキングそしてアカデミック・ライティング(つまりエッセイ作成),プレゼンテーション・スキルなどだとは思うが、大学院のように非常に狭い専門的な分野を専攻する学生にとって、ある程度その分野に即した内容でそれらのスキルをトレーニングすることが当然効果的であることを考えれば、そのような分野別の英国人教師を見つけることが難しい日本ではそれも覚束ない。また価値観を共有する日本人同士のディベートに例えそれが英語で行われるとしても、さまざまな国籍の学生が集まる英国大学の授業の中でもっとも辛くまた重要な部分である文化や思想の違いによる価値観の衝突はありえない。

生活面で考えれば日本にいては全く準備にならないことは誰が考えても当たり前だ。
授業はネイティブ教師がやるとしてもそれ以外は全て日本の環境の中にどっぷり浸る生活の中で、留学の臨場感などあるわけがない。朝起きてJR線に乗って学校へ行き途中で腹減ったので立ち食いそばを食べて、ついでにスタバでコーヒーを飲む。授業が終われば友達とカラオケに行き夕食はファミレスで簡単に済まし、駅前のツタヤで面白そうな外国映画のビデオ(もちろん字幕スーパー付)を借り、帰宅。こんなありきたりな日本での生活を送っていて何を準備しようとするのだろうか。英国に到着して第一日目から地下鉄の切符の買い方が分からない、バスの乗り方が分からない、携帯電話の買い方が分からない、風邪薬が買えないそしてまず周りの英国人が何を喋っているのか分からないのだ。

留学の準備を100と考えれば、日本に居ながらにしてできることは全体の2-3割でしかなく、そんな暇とお金があったら早く渡英しろよというのが本音だ。早く渡英することのリスクは何も見当たらない。以前さんざっぱら準備に時間とお金をかけ、これで完璧だと自信満々渡英してきた女子学生がいた。
彼女が入学した英国の地方大学はコンビニもファミレスもない自然と静かさだけは誇れる環境の中、コースが始まった10月はすでに日本の季節で言えば冬のように寒くおまけに毎日毎日雨模様、まわりの英国人とのコミュニケーションもままならず、数少ない大して波長が会うとも思えない日本人との人間関係にも馴染めず結局彼女は1ヵ月後には逃げだすように帰国したのだった。一体彼女の準備ってなんだったんだろう??


このような準備コースが日本で繁盛しているとすれば、大学進学=まず受験対策といういかにも日本人的な常識がまったくそれとは異なる英国大学進学にも適用されているという矛盾に他ならないし、第一そんなに英国に行くのが怖いのだったら最初から留学なんてしなきゃいいのにと思うのだ。

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2006年03月17日

【なに様ブログ】
金にまつわる話~授業料は不公平?~

イギリスの大学って授業料の面で不公平だという話を
よく耳にする。英国人と日本人学生の授業料の差に関する文句
なのだが、この話には多くの誤解があるので本当の事を書きたい。

まず英国人だから授業料が安いというのはウソだ。英国人だからではなく
納税者だからといった方が真実に近い。では納税者だと誰でも安くなるか
というとそうでもない。基本的に本人ないし父兄が大学入学日まで4年間
継続して納税しているというのが原則といわれている。”言われている”と
ちょっとだけ曖昧な書き方になったのは、ケースバイケースで臨機応変に
対応することで有名な英国の役所の判断が多分に加味されるので厳密に
これだと断定できないからだ。なんせ個人の状況や意見に耳を傾けることに
長けた英国社会はあらゆるケースに対して柔軟だし、一応のガイドラインは
あっても多くの例外を許容する社会なので、役所であっても対応は同じなのだ。

英国の文化はさておき、この4年間継続して納税していることというルールに
該当する学生であれば、国籍に関係なく国内学生の授業料(つまり安い授業料)
が適用されるわけだ。英国人であっても長く香港に暮らしている人がその子供を
英国内の大学に入学させた場合、やはりこの安い授業料は適用されない。
納税者の授業料が安いことを分かりやすく説明すれば、彼らの払った税金の一部が
大学の授業料の補助に充てられているということなのだ。

ちなみにイギリスの税金は高い。所得税は最低でも20%以上だし、それに社会保険料
などを加味すると源泉で30%以上徴収される。それに住民税や17.5%という高率の
付加価値税(日本の消費税に当たる)が加わる。つまり英国の就業者の税務負担は
重く、収入の半分近くが国に納められていると言っても過言ではないかもしれない。
そんな多額の納税をしている者と一銭のお金も納めていない者の授業料が同じと
いうのでは納税者側から見ればこんな不公平なことはなく、それこそ一揆が起きても
おかしくない。

また、日本人だから授業料が高いというのはウソで、納税していない留学生の授業料は
同額である。韓国人、中国人、アメリカ人もすべて同じなのだ。ちなみに学生数で言えば
高い授業料を払っている外国人の中で日本人は5ないし6番目でしかない。中国の物価から
みれば英国大学の授業料はとてつもない金額だと思うが、中国人生徒の数は日本人の5倍
もいる。

一方日本に来る留学生の授業料は日本人より安いばかりでなく、多くが日本政府から
奨学金までもらっている。そうまでしないと留学生が来ない日本がおかしいと思うのだが、
これが常識になっている日本人にとって、納税者への還元という至極まっとうな考えに基づき
設定されている英国大学の授業料は、不公平だの差別だのということになってしまうようだ。

日本の常識は世界の非常識、残念!!

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2006年01月12日

【なに様ブログ】
怪しい日本の外国人教師

先日ロンドン市内のスーパーで買い物していると、レジのお姉ちゃんにカタコトの日本語で「日本人ですか??」と声をかけられた。とうとつだったので驚いた顔をしていると彼女は続けて「私、先月まで日本にいました?」と言うのだ。「へ?観光で行ったの?」と聞くと「英会話の先生してた」という。そういえばこの前は事務所の清掃員の兄ちゃんも日本では英語教師としていい生活してたと言っていた。
このごろこの手の怪しい日本語をちょっとだけ話す元英語教師の英国人によく出くわす。ちょっとだけ日本語を話し我々日本人に対して実にフレンドリーな彼らは日本を懐かしむように「日本のどこから来たのか?」だの「日本のどこどこは知っているか?」だの聞いてくるのだ。でも何か変だと思う。彼らの多くは率直に言えば低階層の労働に従事しているのだ。日本ではまさに英語教師として「先生!先生!」と呼ばれけっこう優遇された生活をしていただろうし、東京あたりであれば毎夜麻布だ六本木あたりでバリバリいわしていた彼らが英国に帰るとその多くがいわゆる低階層の肉体労働者になるか、教師として働くと言っても中学や高校などではなくせいぜい街角の語学学校の臨時教師なのだ。
そこでこの素朴な疑問を知人のロンドン大学教授にぶつけてみると「能力のある奴が英語や英会話教師なんかやるわけない。ましてや地球の裏側の日本で英語の教師をやっていたなんて何の評価にも値しない」という答えが返って来た。続けて彼は「英国の良い大学を卒業した人間から見れば英会話教師なんていうのは窓拭きと同じ類いのバイト仕事だ」と言うのだ。つまり1時間英会話やって金をもらうか1枚窓を拭いて金をもらうかの違いだけで大した知識や能力も要らないバカ仕事だと言うことらしい。
昔、日本の地方都市で英国大学の説明会を行った時、「僕は今オックスフォード大学を卒業したイギリス人の先生に英語・英会話を習っていて、その先生から英語学習だけではなく英国の文化や教育そして留学についてのアドバイスもしてもらっているので安心だ」と誇らしげにいう学生がいた。実際にそのイギリス人の先生に会うと彼は「オックスフォード州にある専門学校で職能トレーニングを受けたあと、しばらく英国で建築現場の作業員をしていたのだけれど、ナンパした彼女が日本人だったので彼女の帰国に合わせてこちらに来てみたら英語教師としてけっこうな収入になるし、皆からは先生として尊敬されるし、外人が珍しいのか毎日のように地域の人から豪華な食事に招待されるし、お陰で食費は浮くし最高だよ」と悪びれずに抜かすではないか。このイギリス人のアドバイスを真に受けている学生がいるかと思うと何だか複雑な気持ちになった。冷静に考えればオックスフォード大学まで出た優秀な学生が、イギリスから見たら東の端の日本という島国のそれも地方都市で英会話教師に身をやつしているわけない。もし事実だったとしたらそいつは余程の日本フリークか変人に違いない。つまりまともじゃない。
英語や語学教育の学位を持ち、外国人に英語を教えることに情熱をもつ真剣なネイティブの教師も日本にいるに違いない。しかしネイティブの教師が増えているにも拘らず、年々日本人の英語力が落ち込み北朝鮮並みとまで揶揄される現状を見ていると、単にネイティブだというだけで英語を教えるということもまともにできない連中が教師としてのさばっているのだから仕方ないかと妙に納得してしまうのだった。日本の英語・英会話教師の職って英国人大卒の失業対策か?!?

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2005年12月06日

【なに様ブログ】
現代大学生怪談

「私、日本の大学やめたいのです」

今日も相談に来た現役の大学生からこの言葉を聞いた。このごろやたらと大学中退を希望する学生の相談が多い。ロンドンには多くの日本の現役大学生が長期の休みあるいは休学して留学している。ことに近年は英国で学んだことを単位として認める日本の大学が増えるとともに、英国の大学などでもJYA(イアーアブロードコース)と称する日本の大学休学生向けのコースを多く開設していてその留学を後押ししている。ところがこのような学生が、予定した留学期間を終えても日本に帰りたがらないのだ。理由はせっかく英語に慣れてきたのにすぐに帰ってはもったいないとか、もう少し自信をつける必要があるとか色々言うのだけれど、要は授業もろくに行かず、バイトと合コンに明け暮れる、いわゆる典型的な日本の大学生に戻りたくないのだ。大体大学の1、2年生で留学したいと考えること自体、日本の大学が面白くなかったのだ。面白ければ海外に行こうなどと最初から考える訳がない。

昨年日本事務所にある女子大生が相談に来た。彼女はまだ入学して3ヶ月だったが、ご多分にもれずカラオケや合コンそしてバイトに忙しい毎日で、こんな筈ではなかったと思いながらも周りの学生も同じような生活を送っているのでついつい流されてしまう自分に不安を感じると言っていた。そこで思い切って海外に飛び出そうと考えたわけだが、親はせっかく入った大学だから卒業しろと言うし、教師は外国大学を卒業しても就職もないと脅すのでどうすれば良いかという相談であった。親子関係だの師弟関係には深入りするつもりもないし、逆にそれらのコメントに異論をはさむとすれば話が終わらなくなるので、今の自分に正直に公開しないことが大切ではないかというような当たり障りのないアドバイスをしたのだが、彼女が急に泣き出し鼻水まで流されたのには参ってしまった。

先日、日本の某一流私大の経済学部を卒業した学生が、こちらの大学の芸術系の基礎コースに申し込みたいという問い合わせがあった。全てやり直しとなる今後のプランやそれにかかる費用に及ぶと突然この学生は「僕は大学の選択を最初から間違えたんだ!!あの日本の大学に払った金があればと思うと悔しい」と逆切れした。

中退の動機はさまざまだ。確かに日本の大学を出ても意味がないと感じてる多くの大学生がいる。大学生活を有意義に過ごすか否かは全て本人の問題だという正論をふりかざし社会や大人が説教してみても未熟な学生たちには通じない。かえって未熟なだけに無理やり自分の希望や意思に反したことをやらされるとその恨みをず~っと根にもつ。ある学生が言っていた。「親や教師そして学校のために我慢して大学を出てやったのだから、あとは彼らに責任を取ってもらうし、一生とりついてやりますよ。」お~こわ!!

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2005年11月10日

【なに様ブログ】
日本人は受験英語しかできないから・・・のウソ・ホント


ユニコンの留学生のほとんどは大学進学を目的としているので、例年多くの学生がIELTS(英国版のTOEFL)という英語テストを受験する。IELTSは英語を読む/書く/話す/聞くの4つの能力で審査する試験でそれぞれが9点満点で表記される。

ユニコンには過去に受験した数百名に及ぶ学生のテスト結果が残っていて、時々それを眺めてはあの学生はいいやつだったとか、いい加減なやつだったなどと思い出にふける。ある時この数百名のテスト結果をみるうちに面白いことに気づいた。先に説明したようにIELTSは4つの能力を審査するのだが、なんと90%以上の学生は 話す/聞く>読む/書く なのだ。日本人の多くが読み書きは良いのだけれど話せないし聞けないという不満を口にするのに、この結果をみるとどうも現実は違う。また英国滞在が長くなればなるほどこの 話す/聞く と 読む/書く のギャップは広がっていく傾向にあることも分かった。つまり日本人は読み書きができないのだ。

そしてある学生にどうして 話す/聞く より 読む/書く が得意だと思うんだと聞くと、例えば

Be careful!

と言われると聞けないが書いてあるのを読むと分かるからと言う。つまり多くの日本人にとっての読みや書きはこういうフレーズのことを指していて、いわゆる内容と自分の意見を伴った作文のことを意味していないのだ。

IELTSのテスト中の書きは250語/150語以内で例えばあるグラフを見てそこから見て取れる自分の想像や意見を作文するもので、決して

This is a pen.

を翻訳しろなどという問題ではない。つまり意見や考えがない読み/書きはありえないわけで、日本人はこれが苦手なのだ。一方話す/聞くはテープを聞いて4択で答える設問と審査官の英国人との面接で判定される。それこそ「あなたはどこから来たの?」だとか「どのくらい英国にいるのか」などの簡単な質疑応答に始まり、それに対して学生が’Japan’だとか’2 years’などと答える。そして話す内容を少しずつ複雑にしていくわけだが、面接なので身振り手振りをいれてコミュニケーションは続く。

話すとか聞くというのは例えそれが正確でなくとも文法がおかしくともなんとなく通じる。’Toilet where’といえば便所は何処だときいているくらい想像がつく。それが話す/聞くということなわけで、平たく言えば通じたかどうかということを見るのだ。どこかの教材の広告で’I get off’は「アゲドウフ(揚げ豆腐)」の方が通じるというのをみたことがあるが、ではこれを作文で’A-GE-DOUFU’と書くバカはいない。つまり単にコミュニケーションを目的に話そして聞くのは難しいことではないし、決して日本人はそれが不得手ではないことをこのIELTSの結果は如実に示している。

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2005年10月06日

【なに様ブログ】
英語ペラペ~ラ -日本人は全員東大生になれる?!-

ここに興味深い表がある。それはアジア23カ国のTOEFL受験者の平均点を示したものだ。一概にこの点数が各国の英語力を反映するものではないとは思うが、結構ショッキングだ。その表によれば世界第二位の経済大国でアジアで唯一つのG8メンバーの我が国日本は23カ国中22位、下にはあの北朝鮮しかいない。

日本人の多くがもつ、英会話に対する劣等感や憧れは異常だ。多くの日本人が国際的な場でカッコよく英語で語らい、外国からの電話によどみなく英語で答える姿にあこがれる。そんな弱みに付け入るように、英会話学校や英語教材のPRでは外人と喋れるようになる点を強調する。外人と語り合おうだの、この教材一つでペラペラだのといったキャッチフレーズの横に、外国人に囲まれて微笑む日本人や彼らを前にプレゼンしてる日本人と思しきビジネスマンやキャリアウーマンの写真が添えられたりする。聞けば渋谷区内だけでも100近くの英語学校が営業しているそうだ。それでも英会話ができるようになったという話はあまり聞いたことがない。だからというわけでもないだろうが、留学の動機にまず本場で英語がしゃべれるようになりたいからというのが挙げられるのはうなずける。そして、現在英国に留学してもなお、日本人学生の不満の多くがその英会話が伸びないということなのだ。

英会話とは何のことなのだろう。飛行機の中で外人のスッチーに毛布をくださいと言えることなのか。あるいはパブで隣にいたオヤジと好きな女の子のタイプについて語ることなのか。会話ってそんなものなのかもしれない。多くの日本人は喋れる喋れないという点で英語力を判断しようという傾向が強い。ところが英国の大学や大学院での学習では読んで書くことに忙殺され、会話指向の強い日本人学生にとっては不満になるようだ。

英会話力があってもそれは必ずしも知力があるという意味ではない。会話さえできれば大学でもどこでも入学できるのであれば、日本語を話す日本人はすべて東大に入学できることになる。つまり会話力と知力は違うのだ。ところがこと英語の問題となると英会話力=英語力=知力となり、とにかく喋ることができればよいということになるらしい。こんなバカな話はない。知力があろうがなかろうが英国人は英語を喋っている。こんな当たり前のことが理解できない日本人の本当の英会話力は絶対に上達しない。間違った英会話信奉が日本政府をして小学校からの英会話クラスの導入を決意させ、英語圏の国々からネイティブであれば誰でもという状態で、俄か英語教師を招聘させている。街角には英会話学校があふれ、駅前だけに飽き足らずお茶の間だのケータイだので留学できるという。でも繰り返しで恐縮だが、日本人のTOEFLスコアはアジア23カ国中22位で、その下にはあの北朝鮮なのだ。今の英会話偏重が決して英語力の向上につながっていないのではないかと疑問に思う人はいないのだろうか??どうも賢明な日本人はこと英語になるとバカになるらしい。

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2005年06月02日

なに様ブログ
FACE IT!!! -逃げるな、学生たちよ!!!-

Running away

学生は逃げる。
とにかく直面することから逃げるのだ。
ITやインターネットの発達がそれを後押しする。面と向かって話すことはできなくとも携帯だと延々と話せる。試験だとか面接だとかは苦手だ。入試などは避けたい。都合の良いことに推薦だ編入だといろんな入学方法がある。だからそんな書類だけで入れる学校を捜す。そして書類だけはいっぱい用意する。PCでもって字体を変え色を変え、見栄えのよい書類を作る。内容は多くがパクリだ。要領良くパクった書類でごまかせればいいのだ。実力という言葉はスポーツの世界だけで十分なのだ。自分は嫌だが人が苦労しているのを見るのは好きだ。だからやたらと日本ではスポーツがウケル。

こんないまどきの社会から日本人が留学してくる。英国の大学なのだから英語のテストを受ける必要がある。ところが彼らは試験を極力受けずに、大学の入学許可は欲しいという。実力はいらない結果をくれということなのだ。どうでもよいことだが、昔テレビドラマで「同情はいらない金をくれ」というのがあったが、ゴロが似ている。留学してくるぐらいだから英語ぐらいやれと思う。テストぐらい受けろと思う。その結果が悪かろうが良かろうが当初の段階では問題ではない。それよりも自分の現状がどの程度なのか目安が必要だし、現実的な判断を下すのに大切な要素なのだ。

英国大学ではIELTSという英語試験を重視し、極力学生にそのスコアを提出するように指示している。でもTOEFLやTOEICではだめかと聞いてくる学生が多い。IELTSは受けたことがないので慣れている試験が良いとか、受験料が安いとか、なんだかんだと理由を挙げるのだが、イマイチ説得力がない。テストを受けその結果が悪ければそこで考えればよい。点数は高いに越したことはないのだが、所詮それは実力があってのことだ。
ではなぜ受けてみないのだろうか。
多くの相談がどうやればテストも受けずにうまく大学/大学院に入学できるかということなのだ。せいぜいテストも一番点数をとりやすいのはなにかという相談なのだ。こんなやり方は世界では通用しない。

FACE IT!!!直面することから物事は始まる。いつのころから日本人は直面を避ける国民になったのだろう。直面することを避けてもそれは問題の先送りでしかない。今の日本で起こっているさまざまな出来事の多くが先送りの構図から生まれたものだ。そして問題があからさまになると必ず出てくる言葉が「早く手を打っておけばよかった」だ。後悔の積み重ねが人生だとすればそれはあまりにも自分に対して無責任ではないか。

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2005年02月17日

なに様ブログ
負けるな日本の高校生!

日本の大学の最高権威?某大学の○○講堂

今年ロンドン大学の学部準備過程(ファウンデーション・コースという)に入学した学生は、東北地方の進学高校を卒業し日本の大学は受験せず留学して来た。日本の中でも保守的な色合いの強い地方都市で、おまけに進学校に通っていた彼女は聞けばこの英国留学という決断をするに当たりさまざまな抵抗を受けていたという。推薦入学で有名大学に進学する友人たちからは、そんなハンディとリスクを背負ってまで留学するのはバカだと言われるし、進学指導の先生は外国大学など出ても日本では認められないとか就職も覚束ないなどと脅された。その挙句、それでも外国大学に行きたいと主張しつづけると以後彼らは彼女をシカトしつづけたというのだ。

抵抗勢力でタチが悪いのは彼らは抵抗するだけでなく勢力まであるので、結構影響力が強いことだ。
特にこういった勢力に属する無見識な教師に堂々と自信に満ちたアドバイスをされると未熟で若い学生はひとたまりもない。挙句に高校の進学実績アップのために適当に進学させられて将来を台無しにされたのではたまらない。そんな学生が日本には山ほどいる。先日20年前に高校卒で留学し、ロンドン大学を卒業した学生の突然の訪問を受けた。彼の時代に留学といえばフルブライトや企業派遣などに代表される超エリートの留学か落ちこぼれのなれの果てかのどちらかだった。
今よりも遥かに一般の高校卒の留学に偏見が強かったそんな時代にただ一人父だけが彼の留学を後押ししてくれた。聞けば彼は現在大手の外銀で部長をしていてアジアを中心に飛び回っていて、機会があれば外国で新たなチャレンジをしてみたいという。そんなグローバルな自分の生き方を可能にしてくれた父の先見にいま彼は感謝している。

このところ英国の大学院に進学希望する学生(つまり日本の大卒)が増えている。ほとんどの学生はそのような抵抗勢力の口車に乗っかって日本の大学に入学し、成り行きで就職した経験がある。かれらは口を揃えて「何が無駄かといえば日本の大学に行ってしまった事が無駄だったし、もし高校卒業して英国大学に入学していれば今みたいに英語で苦労することはなかった。日本の高校の環境下ではとにかく日本の大学の進学しか選択の余地を与えられず、だれも海外大学進学など思いつかないのです。」という。そして「日本の大学に通い、ちょうど3年生くらいで就職や将来を考え始めた時、初めて自分には何の能力も自信もないことに気づき留学を考えるようになるのです」と続けるのだ。

先日東京で芸術大学の面接審査を実施した。その面接に福岡、大分、岡山、富山、山形などの地方から制服姿の高校生たちが飛行機や新幹線そして夜行バスで東京までやってきた。彼らは日本の抵抗勢力がどんなに目隠ししても自分の将来が見えてしまったのだ。よしあしは別として日本社会の足元にジワリジワリと押し寄せるグローバル化という怪物に自分の将来が飲み込まれるのが嫌なのだ。まだヨチヨチ歩きだけれど自分の足で未来を切り開こうとする彼らの勇気に心が動いた。負けるな日本の高校生!!

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2004年03月11日

なに様ブログ
便器では顔を洗うな

以前、出張で英国人の友人と日本に行ったときのこと。ある日踏み切りを渡ろうとすると、遮断機にさがっているノレンのような黄色いのは何だと、この田舎者の英国人が聞くので、“くぐるな”って書いてあると言うと、彼はしごく驚いた顔をした。またある時。高い塀の横を歩いているとこれまたそこに白い紙が貼ってある。何が書いてあるのだと聞くので“登るな”って書いてあると言うと、これまた怪訝な顔をする。
 
 そんなことがあって、ある日。ホテルのトイレに行った彼が、そこにあった貼り紙を見て、きっと“便器で顔を洗うな”って書いてあるのだろうと自信ありげに言うので、つい噴き出してしまった。何故そう思うのだと聞くと、日本というところは、人間の依存心を助長するのが常識のようだと言う。例えば、踏み切りを渡らないためにバー(遮断機の捧)があるのに、くぐるなって注意するし、侵入されないために作った塀には登るなといわなきゃいけない国だろうと、したり顔で答えるのだ。

 常識というのは国々によって違う。例えば、信号が青であれば進めるし、赤であれば止まるというのは万国共通だ。でも英国では歩行者は信号を守らないのだ。歩行者は赤信号の交差点でも車が途切れればバンバン渡る。警察官も渡る。でもなかなか人間って轢かれない。
 ロンドン名物2階建てバスの多くには乗降口にドアが無い。つまり安全が自分で確認できれば、いつ何処でも飛び乗って良いのだ。でも引きずられたり落ちたりした人をあまり見かけない。
 一方日本に行くと、皆お行儀よく信号を守る。バスや電車に乗ると足もとに気をつけろだとか、吊り革をしっかり持てと頻繁にアナウンスされるし、天気の悪い日にはカサを置き忘れるなとまで注意してくれる。でも毎年交通事故で亡くなる人は日本では1万人を越え、英国では3千人程度なのだ。
 
 社会や他人に依存する社会では、そこに住む人間をマヒさせる。ケガしたくないとか死にたくないといった、動物としての本能すらも、社会のルールや常識に守られているという依存心を植えつけられるとなくなってしまうのだ。だから信号が青になると、車が来ようが来まいが、とにかく横断するし、遮断機があっても「くぐるな」って書いてないと渡るのだ。そういう人は確かに便器で顔を洗うのかもしれない。

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