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第28話:熊子、アカデミックへのターン

よくよく考えてみたら、私、経済学部出身だったし、(この歳で)アートをゼロからなんて、ちと計算が甘かったかしら?刺激的だったつかの間のアーティスト生活に別れを告げ、ターゲットをMA取得に定めたものの、資金面で問題が(足りないってこと)…どうする、熊子さん。

2005年3月: ありがとう叔母さん
帰ってからパンフを熟読。半年間のUCL大学院準備突貫コース(GPC)も大学院(City University)もなかなか興味深いコースであることが判明。ユニコン作成のコース案内マニュアル(日本語版)には何度もしぶとく「大変です」と書いてあるが、なんだか頑張ればやれそうな気がしてきました。

一人では結論を出しかねたので、昔から何かとお世話になっている叔母に相談メールを送りました。息子を高校から留学させている叔母はガイコクのことに詳しいので、渡英後も送金手続きや留学生保険延長手続きなどの(英語が必要な)事務処理面でお世話になっていたのです。
大学院という進路に変更したいこと、資金不足なので大学院準備コースを終えたら一旦帰国して金を貯めて1年後に大学院に進学しようと思っていることを伝えました。
まもなく返ってきた叔母のメールには、
●自分で出した決断なら賛成だし、進路を変更するのは別に恥じることではない
●準備コースと大学院の間に1年帰国するのは反対。進学へのモチベーションも英語力も下がるに決まってるから、一気に終わらせて帰ってきなさい……

……そうは言ってもね~」なんて、続きを読むと、
「というワケで、(留学資金の不足分は)叔母さんが貸してあげる。それでも足りない分はばーちゃん(叔母の母)から借りてあげるから、1年半は死ぬ気で勉強しなさい」と書いてあるじゃあありませんかーっ!うおー、言ってみるものですねー。人様にお金を借りるのは少し気が引けたけど、いろいろ考えてありがたくお借りすることにしたのでした。

UCLの門をくぐる
そうと決めた後は早かった。ユニコンから渡されたUCLの申込書&入学テストを提出し、その日のうちに大学院準備コースのコース・ダイレクター(なかなかの男前)とインタビュー。「じゃ、ちみ合格ね♪」と軽い感じで握手をして4月からの学習の場が決まりっ。

2005年4月:GPC(Graduate Preparatory Course)前期
GPC開始。初日に指定された場所に向かうと、そこに集まっているのは95%アジア人。セント・ジャイルズで見かけたような人たちも(全員ユニコンっ子)。皆でおしゃべりしているとインタビューの日に会った男前が登場。彼に引率されて、やれ学生証発行やら設備の使用説明やらでその日は終了。コースの第一週はクラス分け目的のテストがかなりしつこく行われました。

授業は読み書き中心ですが、進み方は割りとゆっくり。課題の量もクラスごとに違います。私のクラスはゆるめの方で、「もっと宿題出せ」と文句を言う人もいたけど、ユニコンのマニュアルに「前半はゆっくり進むが、ここで気を抜くと後半苦労するぞ」と脅してあったので、毎日夜8時頃まで学校の自習室で勉強をしました(家では勉強しないから)。GPCは通常なら1年かかるコースを5ヶ月に短縮したものなのでその分ハードだと聞いていましたが、放課後のレクレーション企画などが充実していたせいか、それほど辛いとは思いませんでした。

●●ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世ご逝去のとばっちり●●
(クマ子の歴史的思い出)

進路(GPC)が決まりひと安心した3月、「イタリア1人旅」の敢行を決心。ベネツィア・フィレンツエ・ローマを列車で回ろう!と、フライトもホテルも列車も手配し出発を待つのみだった3月末頃、「ローマ法王が入院しました」「ローマ法王の具合が急変しました」「小康状態です」と言ったニュースが流れるようになった。最初は特に気に留めていなかったけど(法王、すみません)、そのうち、「お亡くなりになると全世界から多くの人々がローマにお悔やみに押し寄せることが予想されるのでローマは空港閉鎖を検討しています」なんて言い出した。
全世界の皆さんとは違う意味で私も「(まだ)死なないで~」と懇願する毎日となりました(法王、重ねてすみません)。
しかし不謹慎な祈りも空しく、4月2日ローマ法王ご逝去。そして恐れていた通り、ローマの主要空港以外の空港は閉鎖決定。
ツアー出発予定日の2日前、旅行会社から「ご予約のフライトはキャンセルになりました。代わりにペルージャに行きませんか?」というメールが届いた。
2日前に言われてのこのこペルージャにいけるかっ!

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