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第34話:静子の最終学年
身をすくめちぢこまっていた1年生時代、少しリラックスできた2年生時代。時は風のように過ぎ、まこと人生光陰矢のごとし。されど少年老い易く学成り難し。静子さん、卒業はもうそこよ。
2005年10月:静子さん、LSE最終学年(3年生)
ちょっぴり社会人体験(銀行アシスタント)を経て迎えた3年生。
「よっしゃ、最終学年は勉強に集中するぞ」と気合を入れてみたものの、人間思うようにいかないものです。
滑り台(すべりだい)
3年生になると、"卒論を書く"が1単位になる分だけ授業数が減り、学校に行くのも週6時間だけになりました。その分自分でリサーチを進めていかなければいけないのですが、年度末に設定されたエッセィ提出期限がなんだかず~っと先の話のような気がして自主学習時間を自由時間(遊び)に費やしてしまいました。良く寝ていたし、漫画にはまり日本アニメの海賊版にはまり、友達と校内のパブで飲む機会も増えたし。
2年生のときは「中だるみかも~。でも3年になればやる気が戻るもん」と楽観視していたのですが、中だるみどころか滑り台だったらしく、さらにたるんでしまった気がする3年目でした。
加えて精神的に少し不安定でした。最終学年ともなると就職だけでなく自分の将来や人生についても考えるようになります。
「私は何がしたいんだろう?」「何が好きなんだろう?」「どんなふうに生きたいのか?」という疑問が、時には「そもそも何で勉強しているのか?」「勉強は何のためになるのか?」「学校以外でも学ぶものがあるのでは?」という懐疑心を生み、それが私を不安定にさせました。
卒論
Social Anthropologyコースでは卒論は「選択科目」のひとつでした。「卒論」を選んだ人はデッドラインに提出、そうでない人は他の選択科目を受講してExamを受けるというわけです。
私は辞書や資料を見ながら自分のペースで進めることのできる卒論を選びました。約1万語ですから、課題で書く1~2千語のエッセイとは随分勝手が違いました。
卒論選択組にはお助け人(担当チューター)がいていつでも相談できるのですが、私の場合は何を研究したいのかが自分でも明確でないため相談すらできません。不明確ながら日本に関することを書きたいと思いついたものの、LSEには日本の研究をしている先生がいません。ある日困窮状態のまま相談に行ったところ、『こんなトピックがあるし、こんな本を読むといい』とアドバイスをしてくれました。
その日からreadingする?チューターに相談する?またreadingする?チューターに相談に行く、の繰り返し。あのチューターがいなかったら卒論を書けていませんでした。
それにしても、自分自身でトピックを決めることがいかに重要であるかを痛感しました。
チューターが示してくれたトピックを彼の上手な解説で聞くと、「このトピックおもしろそう!」と思うのですが、いざreadingに入るとポイントが霞んでしまいます。元々、めちゃ興味があったわけではないから、結論や伝えたいことを見つけるのが難しいのですね。
そんなわけで卒論は積極性に欠いたものになりました(書き終えた達成感を味わうことはできましたが)。
2005年12月:MA前期終わる
エッセイ提出から2~3日はフヌケ状態でほけ~としていました。9月に思わぬ事情(強制退去)で帰国しているので年末の里帰りは懐が許してくれません。でも息抜きをあきらめきれない私はリヨンへ2泊3日の貧乏旅行をする友人に無理やり同行(借金背負ってる身の上だというのにねー)。
Xmas前夜の極寒地リヨンから戻るとロンドンはXmas。この日は半年間お世話になっていたホームスティ先を訪ねてファミリー・ランチをご馳走さま。クリスマスは全交通機関がストップするので行きは当然歩き(1時間)、帰りはホスト・パパが車で送ってくれました。
年越しはロンドン・アイへ出かけて年越し花火を鑑賞。帰宅して年越しそばを食べました。
ここで私の冬休みは実質的に終了。というのも新学期(後期)の初日は1月16日なのですが、その前に卒論のプロポーザル(2000字の計画書)を提出しなければいけないからです。ようやく前期がおわったばかりなのにもう卒論かぁ…とブルーになりつつ、エコノミー症候群に気をつけながらのエッセイ生活を再開しました。
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